カズオ・イシグロの「日の名残り」を読んで



カズオ・イシグロのブッカー賞受賞作の「日の名残り」を読みました。

英国の執事スチーブンスが、ダーリントン・ホールを買ったアメリカ人の主人から数日の休暇をもらい、主人から借りた車で旅をする物語です。

執事の品格や仕事に対する誇りについて、旅のエピソードと過去の思い出とともに語られていきます。

これは一体どのような小説といったらよいのか迷うのですが、主人公の執事スチーブンスのその人となりと、こうあるべきと信じて生きてきた時間とこうなってしまった顛末を、淡々と書き綴ったものといえるかもしれません。

英国の田舎の村々や田園の美しい風景が挿入されていて、おぼろげな味わい深い余韻を与えます。

かつての主人ダーリントン卿に心服し、ただ信じて仕えてきたスチーブンスの人生が淡々と丁寧にかつ優しく静かに語られていきます。

彼が主人の賢明な判断をひたすら信じ、仕えることによって自分が価値あることをしていると信じていた過ちがありました。

忠誠を捧げたダーリントン卿とは、戦後、対独協力者として葬り去られる人物にすぎなかったという悲劇は、日本であれば、江戸時代の武家社会、戦中戦後の絶対天皇制の時代崩壊の前後にもよく見られたことであったかもしれません。

旅の終わりに、スチーブンスが信じた執事としての品格や美徳とは、彼を恋い慕った若い女中頭の想いさえ気づかなかった鈍重さであったと知り、自分の人生を悔いて、彼は夕暮れの海を眺めて泣きます。

スチーブンスは桟橋のベンチで会った60代後半のリタイアした男に対して、かつては執事としてあざやかな仕事さばきを見せた彼も、どうあがいても昔ほどにうまくできなくなり、過ちばかりがふえて、執事としての衰えを思い知らされることの残酷さについて、心の内を切々と語りかけます。

スチーブンスは、今はもう自分には何も残っていないと、ベンチの男に話します。

これは仕事生活の止揚としての悲哀であり、だれもがいつかはそこに至ることになる悲劇です。

ベンチの男は、いつも後ろを振り向いていたら、気が滅入る、いつかは休むときが来る、前を向き続けて人生を楽しまなければいけないと言って、スチーブンスを諭します。


イシグロはこの「日の名残り」で時間というものの、優美な抒情性を描いているといわれます。