千早茜の「しろがねの葉」を読んで
時は天下分け目の関ケ原の合戦の前後、豊臣から徳川の世になる頃の石見銀山を舞台にした話です。
しろがねの葉とは、銀の眠る場所に生えるといわれるシダの葉のことです。
作中では、このシダの葉が銀を吸い上げて葉脈の一本一本を瞬かせ、銀の在処を教えてくれると書かれています。
主人公は、山師・喜兵衛に拾われ育てられた少女ウメです。
豊臣秀吉の唐入りへの徴用と凶作が重なり、貧農のウメの父親は、困窮に喘ぎ、御神木に手を合わせにきた村人たちとの会話で、銀を堀れば米が食えるという噂を聞きます。ある夜、ウメの父親は、赤子を背負った身重の母親と、ウメを伴って、村の隠し米を盗み、夜逃げをします。
しかしウメのまだ赤子であった弟が泣き出し、村の追っ手の男たちに見つかります。
身重の母親はとっさに少女・ウメに、日の沈む方角へ向かって逃げろと叫びます。
1人道に迷ったウメが入り込んだのは、石見国、仙ノ山と呼ばれる銀山の間歩(坑道)でした。
そこで、当時まだ4,5歳であったウメは、喜兵衛と遭遇し、一時銀山衆の宗岡の屋敷で養生するため預けられたあと、銀山で雑用下働きをする手子にすると言って喜兵衛に引き取られました。
ウメは、喜兵衛から、薬草から銀山の坑道、鉱脈の知識も含めて、山で生き抜く術を教え込まれながら、年頃の娘に成長しました。
喜兵衛は時々留守中に、ウメを守るように、従者ヨキに命じました。
ヨキは喜兵衛が、明の船で奴隷としてこき使われていたのを見て、買い取った男でした。
ヨキの一族は滅ぼされ、生き残りは奴隷にされて男たちは牛や馬のように去勢されました。
ウメは、初潮が訪れたときから、銀山の最長老である岩爺に間歩に入ることを禁じられます。
しかし、ウメは、喜兵衛とヨキの留守中に、欲望渦巻く銀山へ流れてきた山師に、喜兵衛から教えられた鉱脈を明かすよう強いられ、廃坑で山師の手下2人に凌辱されます。
喜兵衛と従者ヨキが戻ってきて、しばらくして、ウメは胎に子を宿したことが分かります。
ウメはヨキを使って、手下2人を殺害しますが、その後、胎の子はウメの躰が未熟であったため流産します。
しかし、その後、徳川の治世が次第に強まり、何者の支配をも嫌う山師である喜兵衛は、ヨキを伴って佐渡へ渡り、その地で亡くなりました。
ウメは銀山で働く幼馴染の隼人と夫婦となり、山を下りて町の長屋で生活するようになります
時は流れ、隼人との間に、2男1女を儲けます。
しかし、作中で「銀山(やま)のおなごは三たび夫を持つ」という言葉が出てきます。
銀堀たちは近隣から、齢三十にして、無病の者無し。間歩におったら、あと十年も持たん。子を作ったとて、一人前になる姿を見られんと言われています。
銀山の粉塵と瘴気の中で仕事をする掘子の男たちは長生きできませんでした。
遅かれ早かれ肺を患って死んでいきます。
隼人も、黒い血を吐いて枯れ木のようになって死にました。
その後、異人の子であったがため捨て子となり、馴染みの石工の棟梁から喜兵衛が買って、龍と名づけられ成長して、青い目を持った青年としてウメに再会した男と、所帯を持ちます。
龍との間にも2人の子を生しましたが、龍も肺を病み死んでいきました。
隼人の息子も龍の息子も間歩に入り、咳に苛まれ、死んでいきました。
娘たちばかりが生き延び、武家の乳母になった者、商家に嫁いだ者、銀堀と所帯を持った者もいましたが、皆銀の山からは離れませんでした。
やがて、銀が掘りつくされ、町の灯が消えていくのを、老いたウメは、かつて喜兵衛と住んだ山の小屋から眺めていました。