当時の技術ではあり得ないオーパーツ

考古学上、当時の技術ではあり得ないものが、時々出土されているようです。

これらは、オーパーツと呼ばれています。


オーパーツ

オーパーツは、それらが発見された場所や時代とはまったくそぐわないと考えられる物品を指します。

英語の「out-of-place artifacts」を略して「OOPARTS」とした語で、つまり「場違いな工芸品」という意味です。

転じてオーパーツは、現代の技術では解明できていない、誰がどうやって作ったものかわかっていない、なぜ過去にそのようなものが存在していたのかが不明、といった謎の物体や地形のことを指します。


デリーの鉄柱




デリーの鉄柱(デリーのてっちゅう)とは、インド・デリー市郊外のクトゥブ・ミナール内にある錆びない鉄柱のことです。

チャンドラヴァルマンの柱とも言われます。


1993年に「デリーのクトゥブ・ミナールとその建造物群」として世界遺産に登録されました。

99.72%という高純度な鉄(純鉄)で作られており、表面にはサンスクリット語の碑文が刻まれ、頂上には装飾的なチャクラがあしらわれています。

直径は約44cm、高さは約7m、地下に埋もれている部分は約2m、重さは約10トンです。

現在はデリー南部郊外メヘラウリー村のイスラム教礼拝所やその他の種類の歴史的建造物が集まったクトゥブ・コンプレックス(Qutb Complex)内にあり、インド有数の観光スポットになっています。

グプタ朝時代、紀元415年に建てられたといわれます。

1500年以上のあいだ地上部分に限り錆が内部に進行していないことで知られています。

純度99.72%の鉄でも、50年ほどで錆びてしまいます。

錆びない理由としては、鉄柱を覆うリン酸化合物の皮膜が存在することで錆に強い特性が生まれたと考えられています。

インドの鉄鋼石は元々リンを含んでおり、また当時のインドでは鉄の精製を行う際にリンを含む植物(ミミセンナ)を加えていたとされていました。

そのため精製された鉄にも多量のリンが含まれ、錆びにくくなったと考えられています。


褐炭の頭蓋骨(フライベルグ・スカル)



19世紀初頭にドイツ・フライベルグで発見された、褐炭、褐鉄鉱石、磁鉄鉱石で構成される頭蓋骨です。

フライベルグの銀鉱山で、採掘作業の最中に1500万年前の褐鉄鉱石の地層から発見されました。

何度も分析が行われ、ドイツのゲルハルト教授が無名の一般人が作った贋作という見解を述べたことから、オーパーツではないただの贋作という見解が一般的になりました。

しかし、1998年に改めてこの頭蓋骨をCTスキャンで調査したところ、頭蓋骨内部が樹木の年輪のような層をなしていることが判明しました。

もし本当に贋作だとすれば、高熱の素材(褐炭の融点が110ー360度であるため)の薄膜を一枚ずつ重ねて作り上げたことになります。

当時このような高度な技法を用いた工芸品は存在しないことから、今日ではフライベルグ・スカルは本物のオーパーツであると考えられています。

始皇帝のクロムメッキの剣


始皇帝のクロムメッキの剣とは、中国全土を初めて統一した秦の始皇帝の墓(始皇帝陵)にある兵馬俑の兵士が持っていた剣のことです。

1974年3月29日、井戸掘りの農民たちが兵馬俑(死者と共に埋葬される人間や馬をかたどった人形)を発見したことで、始皇帝陵は世界的に知られるようになりました。

そして、兵馬俑の兵士が持っていた剣が、世界の考古学者たちを驚かせました。

通常、遺跡から発掘される剣は、もはや剣とは呼べないほど錆び付いてボロボロの状態で発見されます。

しかし、兵馬俑が持っていた剣は2200年の時を経てもなお光沢があり、新聞紙程度の紙であればキレイに切ることすらできる切れ味を保持していたのです。

詳しく調べてみると更に衝撃の事実が判明しました。

なんとその剣には1800年代に発見され、1900年代に実用化されたばかりのクロムメッキ加工が施されていたのでした。

この時代には発見されていないはずの技術が使われている理由についての文献や記録は一切残されておらず、どのようにしてクロムメッキを施したのかについては未だ謎とされています。



コスタリカの石球


コスタリカの石球(コスタリカのせっきゅう、Stone spheres of Costa Rica)とは、1930年代の初め、コスタリカの密林で発見された石の球体です。

限りなく真球に近いとされています。

現在までに200個以上が発見されています。

石球を含む考古遺跡4箇所は「ディキスの石球のある先コロンブス期首長制集落群」の名で世界遺産リストに登録されています。

スペイン語でラス・ボラス・グランデス(大きな玉)と呼ばれます。

石球のほとんどはタラマンカ山地の麓に産する花崗閃緑岩が原料ですが、貝殻石灰岩製のものも少数存在します。

大きさは直径2センチメートルの小さなものから、直径2メートルを超える大きなものまでと様々です。

最大級の石球は重量にして約25トンもあります。

「米ハーバード大学研究員のサミュエル・ロスラップ博士によって、様々な角度から円周や直径を測っても最大誤差が0.2パーセントのものや、直径が2.0066メートルとミリ以下の単位まで全く同じ大きさの2個の石球も見つかっているという研究報告がある」と紹介されています。

近年の調査で球体の表面に彫刻が残っているものもあり(Carved Sphere と呼ばれている)、彫られた線が星座の図形を現しているという説が提唱されています。

球体への加工は、石斧や石像を製作した場合と同様に、まず加熱と冷却を交互に繰り返して徐々に表面を崩していき、球体に近づいたところで同種の固い石で表面を何度も叩いて整形し、最後に磨き上げたものと考えられています。


ナスカの地上絵



ナスカの地上絵は、ペルーのナスカ川とインヘニオ川に囲まれた乾燥した盆地状の高原の地表面に「描かれた」幾何学図形、動植物の絵です。

1939年6月22日、動植物の地上絵は考古学者のポール・コソック博士により発見されました

その後ドイツの数学者、マリア・ライヒェが終生この地に住み着き、彼女を中心として、地上絵の解明作業と、保護が行われるようになりました。

あまりにも巨大な絵が多く、空からでないとほとんどの地上絵の全体像の把握が難しいです。

なぜこのような巨大な地上絵を描いたのかということが大きな謎の一つとなっています。

主な動物を描いた地上絵の規模としては、長さ46mのクモ、96mのハチドリ、55mのサル、65mのシャチ、180mのイグアナ、135mのコンドルが挙げられます。

最大のものは、ペリカンかサギ、もしくはフラミンゴを描いたと推測される285mの鳥類の絵です。

花や木々、装身具や織物のような日常生活の道具を描いたものや「宇宙飛行士」などと呼ばれているもの、片手が4本指の「手」など不可思議な図柄もあります。