川越宗一の「熱源」は心の内から湧き上がる「熱」をテーマにした歴史小説


川越宗一の「熱源」は、2020年の第162回直木賞を受賞した作品です。

全462ページに渡る長編小説です。

「熱源」はアイヌ民族を題材とした歴史小説です。

描かれている時代は、明治から太平洋戦争の終戦までです。

主人公の一人は樺太で生まれたアイヌのヤヨマネクフです。

もう一人の主人公はポーランド人でロシア皇帝暗殺未遂事件を謀った罪で樺太に流刑囚として送られたブロニスワフ・ピウスツキです。

ヤヨマネクフが9歳の時、日本とロシアの間で、千島列島との交換で樺太はロシアの領有となり、ヤヨマネクフの家族は北海道の対雁(ついしかり)に移り住みました。

ヤヨマネクフたちアイヌは、さげすまれ、差別を受けます。

ヤヨマネクフは対雁村のアイヌの頭領チコピローに育てられ、成長して村一番の美しいキサラスイを妻にめとり、息子も恵まれました。

しかし村に流行した痘瘡(天然痘)によりキサラスイを失います。

ヤヨマネクフは琴を弾いてほしいとキサラスイに請われ、妻に琴の弾き方を教えられるままに旋律を歌い繰り返しその夜を過ごします。

翌朝、ヤヨマネクフは妻の遺骸を背負い野辺に送り、1人号泣します。

数年後、ヤヨマネクフは「いつか故郷に帰る」という妻との約束を果たすために息子トゥペサンペとともに樺太に戻ることにしました。

ヤヨマネクフはこの時に、旅券を取るため、日本名を、山辺安之助とします。

ヤヨマネクフは長さ9メートルほどの川崎船に、老若男女12名ととも、樺太=サハリンへ向かって漕ぎ出します。

4日後、宗谷の稚内に着いてから樺太を目指して漕ぎ出しますが、船は冷たい乳白色の霧に包まれ、方向を見失います。

ヤヨマネクフの機転により、樺太の陸地に向かって船は帆に風を受けて進みますが、岩礁に乗り上げ船の底が裂けます。

ヤヨマネクフが綱を体に巻き付け、冷たい海に入り、幸い腰まで浸かったあたりで足が着いたため、歩いて砂浜に辿り着き、12名全員が上陸できました。

一方、ブロニスワフ・ピウスツキはリトアニアに生まれた法科を学ぶ大学生でした。

祖国はロシアの領土となり、ロシアの同化政策によって、リトアニアの母語であるポーランド語を話すことさえ禁じられていました。

ブロニスワフ・ピウスツキは皇帝の暗殺計画に巻き込まれ、流刑囚としてサハリン(樺太)に送られますが、木工所で苦役囚として過ごすうちに、この厳寒の地で肉体か魂の死を待つばかりの自身の姿に苛まれます。

ある免業日の日曜日に、雪原の中でトナカイを狩る先住民ギリヤークのチュウルカと出会い、狩猟するその姿に惹かれます。

やがてブロニスワフは、興味の赴くまま、厳しい自然に順応して生きるギリヤークの村へ出かけます。

チュウルカに向かって「あなたたちにこの凍てつく島で、生きる熱を与えたものが何かを知りたくて、ここへ来た」と言います。

こうしてブロニスワフは、ギリヤークの村へ出入りするようになりました。

ブロニスワフは、サハリン行政府からの布告を平易な言葉で説いたり、手書き代筆をするうちに村人に受け入れられていきます。

ブロニスワフは村で見たり聞いたりしたことをノートに記録していきます。

ある日、テロ組織「人民の意思」の残党で、サハリンへ行政処分で送られてきた民族学者のレフ・シュテルンベルグが訪ねてきます。

彼はブロニスワフが作ったノートを読んで「私の書籍をやるから、まず学問的な作法や手法を会得したまえ。そして論文を書き、私に見せろ。しかるべきいくつかの学会に、私から送ろう」と言い、「島からでられるかもしれないぞ」と言い足します。

やがてブロニスワフの元へ続々とシュテルンベルグから書籍が送られてきました。

ブロニスワフは、シュテルンベルグに「帝立ロシア地理学協会」という学術機関の存在を教えてもらい、論文や研究成果がまとまるたびに送付し続けました。

ブロニスワフは、サハリン(樺太)のアイヌやギリヤークなどの先住民族の文化の研究をさらに進め、やがて地理学協会にも認められ、知られるようになります。

ブロニスワフは、失ったと思った人生を取り戻せたような快感に突き動かされ、研究に熱中しました。

ブロニスワフは30歳になった時、恩赦により十年に短縮された刑期を終えました。

32歳の時、地理学協会から招聘を受け、ギリヤークのチュウルカの15歳になった息子インディンを伴ってウラジオストックへ向かいます。

ブロニスワフはウラジオストック博物館で講演をしますが、質問者や聴衆のサハリンに住むギリヤークやアイヌを野蛮人とする差別的な壁を知ることになります。

ブロニスワフの「そこには支配されるべき民などいませんでした。ただ人が、そこにいました」という言葉に、サハリン島に住む人々への慈しみが感じられます。

3年後、サハリン東岸の南部、アイコタンの村の頭領バフンケが開催するイヨマンテ(熊送り)に招待されて、その宴会の席でブロニスワフとヤヨマネクフは初めて邂逅することになります。

またこのバフンケ邸のイヨマンテ(熊送り)に際して、バフンケの姪である15歳のイペカラとその後ブロニスワフの妻となる24歳のチュフサンマが、ブロニスワフとヤヨマネクフと会うことになります。

その後、ブロニスワフとヤヨマネクフは幼馴染の太郎治とともに、このサハリンで異属人と呼ばれているギリヤークやアイヌの子供たちのため寄宿学校を作ろうと奔走します。

ブロニスワフとチュフサンマは結婚し、長女の誕生に恵まれました。

やがて、日露戦争が始まり、ブロニスワフとヤヨマネクフもその時代の趨勢に否応なく流されていきます。