井戸川射子の「この世の喜びよ」を読んで
井戸川射子の「この世の喜びよ」を読み終えました。
文章が変わっているというのが、最初の印象です。
2人称小説というもののようです。
このような手法を採用したのは、多分、感情や情緒の飛んだり跳ねたりする変化をダイレクトに表現したかったのかもしれません。
少し、読み難くはありますが、感情の流れと読み解けば、分かり難いところは読み飛ばして何となく話の筋が理解できるようになります。
第1話「この世の喜びよ」
主人公は、ショッピングセンターの喪服売り場で働く「穂賀」という子育てを終えた年代の女性です。
穂賀は喪服売り場から、ショッピングセンター内の様子を眺めたり、昔を思い出したりするのが習慣になっています。
穂賀は、フードコートにいつも一人でいる少女のことが気になっていました。
少女は中学3年生、15歳で、母親は三人目を妊娠中、少女は家で歳の離れた弟の世話をしています。
少女は、家では1歳の弟の世話をさせられるので、放課後、ギリギリまでここで過ごしているのだと穂賀に言います。
穂賀には、二人の娘がいて、上は小学校教員、下は大学生でした。
穂賀は少女とやりとりをする中で、かつての子育ての日々を思い出します。
そして子育てした経験を思い出し、少女に何か言ってやりたいと思っています。
穂賀の日常の中で、かつての自分の娘たちに重ね合わせて、少女との交流が描かれていきます。
第2話「マイホーム」
ハウスメーカーの建売住宅にひとり体験宿泊する主婦を描いています。
小さな双子、男の子と女の子を夫に一晩頼んで、1人寝袋を持って、モデルルームに泊まる気になった主婦の心に浮かぶ言葉を淡々と描き描いています。
夫1割、子供8割、自分の生活1割の、至極真っ当な女性の心象風景が綴られ、まるでスーラーの点描画を見ているような気分になります。
第3話「キャンプ」
父子連れのキャンプに叔父と参加した少年が主人公です。
父親たちは、高校の時の友達同士ですが、キャンプに連れてこられた5人男の子たちは自分の兄弟以外は面識がありません。
血縁も何もない年齢もバラバラな子供達が連れだって歩いていく先々の光景が描かれています。
小さな男の子達とは、こうであったかなとも思いますが、傍らで彼らを眺めている感覚になります。