永井紗耶子の「木挽町のあだ討ち」を読んで

永井紗耶子の「木挽町のあだ討ち」は2023年第169回直木賞受賞作です。

晦日の雪の降る夜、芝居小屋の裏手で、赤い振袖を被き、傘を差して待ち受けていた、一人の美しい若衆・菊之助が、父親を殺めた下男の作兵衛を堂々たる真剣勝負の上、一太刀を浴びせ、みごと仇討ちを成し遂げました。

作兵衛の首級を上げた菊之助のこの見事なかたき討ちは、巷間では「木挽町のあだ討ち」と呼ばれました。

二年後、菊之助の縁者という18歳の侍が、仇討ちを目撃した木戸芸者の一八(いっぱち)を芝居小屋に訪ねてきて、仇討ちのことを詳しく聞きたいと言います。

一八は菊之助の仇討ちの話しをしますが、侍はさらに一八のこれまでの来し方(人生)についても聞かせてくれと言います。

一八はもともと吉原で生まれた女郎の子供でした。

女郎の子に生まれて来るなら女に限ると言われる吉原では、一八はとても生きにくく、それでも幼少期は禿(かむろ)の代わりに女郎の横に座って女の子のように振舞っていました。

一八は、12歳の時に女将の口利きで太鼓持ち、男芸者と呼ばれる幇間(ほうかん)の師匠のところに弟子入りします。

しかし、座敷でのしくじりが元で、一八は師匠から自分の胸の内を捨てることになるから吉原から離れるよう勧められます。

結局、一八は、贔屓の旦那の連れとして初めて観た森田座で、呼び込みとして生きていくことになります。

菊之助の縁者だという若い侍は、一八だけでなく、立師の与三郎、女形の衣装係のほたる、小道具職人の久蔵(と妻のお与根)、筋書の金治を訪ね、それぞれに仇討のことや、これまでの人生について聞いて回ります。

侍が次に訪ねた立師の相良与三郎は浪人者です。

与三郎が十八歳の頃に通っていた道場主の推挙によって、他道場師範として仕官のため、道場主の甥と競い合いますが、ある夜、その甥が罪もない乞食老人を辻斬りした場に居合わせました。

彼はその甥の悪事を進言することを決意しますが、道場主の面目を慮る父親にその悪を見逃せと言われたことに絶望します。

そして放浪の末に芝居小屋の森田座での立師という居場所を見つけたのでした。

女形の衣装係の芳澤ほたるは、幼少の頃に飢饉で路傍で亡くなった母親を偶々通りかかった初代の芳澤ほたるに弔ってもらいました。

そのまま火葬場に居つき、穏亡である老翁に育てられましたが、老人が無くなった後、再び天涯孤独の身となりました。

再び初代の芳澤ほたるに助けられて芝居小屋で衣装係の縫子として仕事をするようになり、長じて初代芳澤ほたるからその名を譲り受けたのでした。

小道具職人の久蔵は、芝居の小道具を作る、「阿吽の久蔵」と言われるほど寡黙な男でした。

その反面、久蔵の妻のお与根は口から生まれたと言われるほど口達者で世話好きでした。

久蔵とお与根は、一人息子が居ましたが幼くして病で失くし、久蔵は木彫りで作った我が子の頭像を仏壇に弔っていました。

ある日、一八が連れてきた菊之助を、久蔵とお与根は家に下宿させ世話をするようになりました。

筋書の金治は本命を篠田金治と言い、旗本の次男坊だったという戯作者です。

彼は、放蕩者でしたが、やがて遊んでいても食う寝るところに困ることはない自分の生き方に疑問を抱くようになりました。

ある日上方から来た戯作者の並木五平の生き方に共鳴し、弟子入りをして筋書となりました。

終盤に、この5人の登場人物たちと菊之助の関わりの顛末と、あだ討ちが仇討ちでなかったことの意味が明かされます。

御国に戻った菊之助は、家督を継いで18歳、あだ討ちが成った当時は15歳から16歳、今でいえば中学生から高校生ぐらいの年代、大太刀を振り回して真剣勝負するには少し若過ぎはしまいかとは、現代の感覚かもしれません。