万城目学の「八月の御所グラウンド」を読んで

万城目学の「八月の御所グラウンド」は、2023年下期第170回直木賞の受賞作です。

本書には「十二月の都大路上下(カケ)ル」と「八月の御所グラウンド」の2編のみが収められています。


「十二月の都大路上下(カケ)ル」

二月の都大路上下(カケ)ル」の主人公は、陸上部に所属する一年生「サカトゥー」こと坂東(さかとう)です。

彼女は、京都の都大路を走る高校女子駅伝の補欠メンバーでした。

競技の前日の夕食時、補欠メンバーの気楽さもあり、親や祖父達に頼まれた土産の話で盛り上がっていました。

ところが、その夕食後、顧問の菱夕子(ひし ゆうこ)教師に呼び出され、急きょ貧血で体調が思わしくないレギュラーメンバーの代わりに出場することが決まったと伝えられます。

しかも、出場メンバー5番目走者で最終アンカーという重責に、彼女は真っ青になりますが、同じ1年生の同僚、咲桜莉(さおり)に励まされて、何とか持ち直し、競技当日を迎えます。

緊張しながら、32位で前走者の先輩からタスキを渡され、走り出します。

並走する赤ユニフォームの選手と競り合いながら西大路通りをひたすら下っていくと、ふと並走する観客の男たちに気づきます。

その7,8人の男たちはなんと、「誠」の旗を掲げて、「斬るぞ」と叫びながら、刀のようなものを頭の上に掲げて坂を駆け下りていきます。

雪の降る西大路通り、超絶方向音痴のサカトゥーは、五条通りへつながる、曲がるべき交差点が近づきつつありましたが、右に曲がるのか左に曲がるのか忘れてしまいます。

「左だ」と強く思い、新選組の連中が走る左側に寄っていくと「右だよ、右!」という声が響き、「まっすぐ走って、一回だけ右!」という先輩の声が蘇りました。

残念ながら、最終スタジアムの前で、並走する赤ユニフォームの選手に抜かれ9秒もの差をつけられましたが、先行集団の4人を追い抜いて、菱顧問が目標に掲げた20台以内の目標ぎりぎりの29位でフィニッシュしました。

翌日、新京極のアーケードでお土産を買い物中、咲桜莉(さおり)とはぐれて迷子になったサカトゥーは、昨日の赤ユニフォームの選手と遭遇します。

そして、彼女も新選組姿の連中を見たことを知らされます。

刀を振り回して走る着物姿の連中に近づいていくサカトゥーに、危ないから「右」へ寄るようにと声をかけたのは彼女でした。

新選組の屯所や墓がある壬生は彼女たちが走った西大路通りの近くにありました。


「八月の御所グラウンド」

第2編目「八月の御所グラウンド」は京都御所のグラウンドで行われた草野球大会の話です。

主人公は、大学文系学部生の朽木(くちき)22歳です。

彼は、「あなたには、火がないから」という理由で、彼女にフラれました。

彼女の郷里、四国の四万十川の清流に浮かぶリクリエーションの機会も失せてしまい、常軌を逸した殺人的な蒸し暑さの夏の京都に残っていました。

同じ大学の多聞は、学部こそ違いますが、朽木とは、同年代で高校から8年前付き合いのある友人でした。

朽木は多聞から焼き肉を奢るからと呼び出されて、草野球の試合に参加してほしいと頼まれます。

朽木は多聞に3万円借りていたので、断ることができませんでした。

早朝6時から御所Gで始まる試合に参加し、多聞のチームは「たまひで杯」なる草野球大会での優勝を目指します。

そもそも多聞が、「たまひで杯」なる草野球大会に参加するためにメンバー9人を集め始めたきっかけは、研究室の三福教授から突き付けられた話が発端でした。

多聞が、水商売の祇園バイトに精を出して勉学に全く身が入らなかったにも拘らず、外資系のコンサルティング会社に就職の内定が決まって、研究室の教授に相談したところ、この草野球大会に参加してすることを交換条件として、卒業できるように卒論の材料を提供する便宜を図ってやると、教授から話を持ち掛けられたのでした。

参加しているのは全6チーム、総当たり戦で5戦し、いちばん成績のいいチームが優勝となります。

朽木は、1日おきの早朝野球に臨むことになりました。

多聞が集めてきた三福チームの9人のメンバーは、同じ研究室の後輩4人、バイト先クラブの水商売の男たち3人、等々の寄せ集めメンバーでした。

今日の相手「岡田」チームのオーナーは、祇園や木屋町に店を何軒も持つやりて社長のチームでした。

このような三福チームであったにも拘わらず、第一試合目に、同じ水商売男たちの対戦チームとの試合は、5回コールド勝ちで快勝し2回戦へ進むことになりました。

試合後、マクドナルドで、朽木は多聞から「たまひで杯」の由来を聞きました。

62歳になる三福教授が、まだ学生の頃に当時師事していた教授に連れられていった祇園で、心を励ましてくれた芸妓の名が「たまひで」でした。

青春時代、同じ芸妓に心励まされた者たちが代表としてそれぞれチームを結成して、毎年この時期に野球大会を開催しているのでした。

かつての「たまひで」がママとして勤めるラウンジ「たまひで」に多聞も教授に一度だけつれていってもらったことがありました。

「たまひで」のママは御年70歳、三福教授は62歳なのでおよそ40年のつきあいになります。

かくて、「たまひで杯」も30年以上も続く伝統ある野球大会でありました。

チームは6チーム、各チームの代表者も「たまひで」のママが現役で店に立ち続ける限り、大会を存続させようというのが総意でした。

第2戦目の相手チームは「山本」嵐山と烏山五条にてホテルを経営している実業家が率いるチームでした。

しかし、三福チームは、選手が2人来られなくなり、ルールにより9人が1人でも欠けると不戦敗になるという危機に直面しました。

たまたま、朽木と同じゼミに属している大学院留学生、中国人のシャオさんが、観戦に来ていました。

シャオさんは、対戦チームに参加していた、嵐山ホテルでバイト中の留学生仲間を応援するため、御所Gに来ていました。

朽木はシャオさんを拝み倒して、多聞のチームに加わり試合に参加してもらうことにしました。

さらにもう一人足りなかったのですが、全く物怖じしないシャオさんが、自転車に乗ってぼんやりと御所グラウンドを眺めていた見知らぬ30歳手前ぐらいの男性に声をかけて、試合参加に誘ってくれました。

こうして第2試合目は、3対2という接戦でしたが、辛くも勝利して第3試合目に進むことができました。

朽木は、多聞にも頼まれて、シャオさんに試合に参加してもらう交換条件としてランチを奢る約束をしていました。

老舗パスタ屋「セカンドハウス」で、朽木はシャオさんから、実はシャオさんが、大学院で日本のプロスポーツの歴史を研究しており、特に野球に強い興味を持っていることを聞きました。

そして、シャオさんが小学6年生の時に北京オリンピックで、教師に引率されて、学校に割り当てられた観戦競技の野球、日本対オランダの試合を観たときの話を聞きました。

静かに観戦しましょうと言う引率先生の言いつけを守り観ていた時、斜め前方あたりで、ずんぐり体格の大人の日本人男性が、立ち上がり、右手をぐるぐる回し「オリコンダレエ」(「放り込んでやれ」)と、周囲の目もかまわず大声で叫んでいる姿をシャオさんは驚きとともに見つめました。

日本人は喜怒哀楽を表面に出さない、冷たい人種だというイメージを持っていただけに、シャオさんにとって、それは驚きであり、初めての異文化体験でした。

1日置いて第3試合目は、さらに研究室の1人と夜職組の1人が欠けて、計2人が不足しました。

多聞が、三福教授に相談すると、「いつも何とかなる」と笑って全然取り合ってくれませんでした。

ところが、シャオさんが第2試合目に誘ってくれた見知らぬ男性「えーちゃん」が、同じ工場で働く野球経験者の若者2人、「遠藤」と「山下」を連れてきてくれました。

「遠藤」は21歳、朽木と同じ大学の法学部の学生でアルバイト、「山下」は19歳、頭を野球少年のように短く刈り込んでいますが、ほれぼれするような美青年で実家から工場へ通っていました。

第3試合目の相手チームは、三福教授と次期学部長の座を巡るライバル太田(おおた)教授が集めた本格的な野球チームでした。

三福チームとの対戦のため、太田チームは、研究室の学生以外に、ピッチャーに甲子園出場経験者、さらに社会人リーグから3人の助っ人を頼んでいました。

相手チームはそのような強豪チームで、三福チームと実力差は歴然でしたが、「えーちゃん」の3塁打ヒットと、なんとシャオさんが初めてバットを振り、ピッチャーの真横をすり抜くワンバウンドゴロで1点を得点することができました。

ところが運悪く、多聞チームの対戦チームの得点を抑え続けてきた金髪でイヤリングを下げた水商売仲間のピッチャー、「隼人」さんが、力投して相手チームの得点を抑えてきたものの、最終回7回裏で1アウト1塁で、爪を割ってしまい投球ができなくなりました。

そこで、ピンチヒッターとして「えーちゃん」が投げることになりました。

「えーちゃん」が、水商売仲間のピッチャーからニューヨークヤンキースのキャップを借りてかぶった時に、シャオさんはあることに気づき「アイヤー」と声を上げます。

「えーちゃん」は中々コントロールが決まりらず、四球で1人を1塁に出してしまい、1アウト1塁2塁のピンチでしたが、コントロールを取り戻し3人目の甲子園投手はいとも簡単に三振としました。

2アウト1塁2塁、相手チームの最後の社会リーグ助っ人打者は姑息にも、野球のルールさえまともに知らない女性のシャオさんのポジションを狙って、ファールを連打してきました。

「えーちゃん」の表情が変わり、それまでのサイドスローから、オーバースローに変えて投げた剛直球にバッターは空振り、ピッチャーの多聞のミットも弾いてバックネットの金網に突き刺さるように当たりました。

身長180センチを超える対戦チームのバッターは呆然として、「振り逃げ」で1塁へ走ることもなく突っ立っていました。

金網に跳ね返った球を急ぎ拾った多聞のタッチを受けて、3アウト、多聞チームは3試合連続勝利でゲームセット、内野と外野からいっせいに歓声が湧き起りました。

朽木は、シャオさんを拝み倒した時に交換条件としてランチを奢る約束をしていました。

その店で、シャオさんから、タブレットで野球黎明期のある選手の写真を見せられます。

それは、不滅の大投手と言われた「沢村 栄治」の写真でした。

「沢村 栄治」は、17歳で日本代表に選ばれ、来日した大リーグ選抜との試合で、ベーブ・ルースを三振に仕留め、伝説的な活躍を見せました。

朽木は、古い白黒写真をカラー化した写真を見て「えーちゃん」がそこに映っていることに驚きます。

沢村 栄治は招集され、1944年、フィリピンへ向かう途中、乗船していた輸送船がアメリカ軍の攻撃により撃沈されて亡くなりました。

シャオさんの話はまだ続きます。

「遠藤」君は現在の大学の法学部に在籍していないこと、大学で軍の招集を受け戦死した学生たちの名簿の中に「遠藤三四二」(えんどう みよじ)のフルネームを見出したことを告げます。

名簿には、氏名「遠藤三四二」、学部・学科「法・政治学」とあり、1943年10月入学、戦没年月日 1944年4月12日と記載されていました。

遠藤君は、大学に入学してわずか2か月で学徒出陣の末、中国北支の戦場へ送られ、二度と京都へ戻ってくることはなかったのでした。

シャオさんは「山下」君については、まだ分からないが、「3人とも、そうじゃないか」と言います。

シャオさんの予想に反して、第4試合目にも、「えーちゃん」「遠藤」君「山下」君の3人は遅れて現れ試合に参加しました。

「えーちゃん」と「遠藤」君が、試合前の肩慣らしのキャッチボールを始めたので、朽木は「山下」君とキャッチボールをしながら下の名前を聞きました。

「山下」君は、「遠藤」君とは、小学校から中学校まで、いっしょに野球をした仲だと教えてくれました。

第4試合の対戦相手は、香木店連合の略「香連」チーム、蘭奢堂(らんじゃどう)というお香の店の社長がチーム代表を務めている野球チームでした。

第4試合は、「えーちゃん」が先日の試合で肩を壊して投げられないので、1イニング毎に、朽木とシャオさんを除いた投げられるメンバーが交代でピッチャをすることになりました。

しかし、第4試合の結果は、全くの惨敗で三福チームは4回コールドゲームで負けました。

たまひで杯最終戦は、雨のため翌日に延期になりました。

しかし、昼前には雨はやみ、朽木は多聞からその夜に行われる「送り火」を観に行くことに誘われました。

神社の石段に場所を取り「送り火」を待つ間、多聞が「いつも、なぜか揃ってしまうらしい」というのを聞いて、それが、三福教授が「いつも、なぜか揃う。これまでもずっとそうだったから」と言ったことから出た言葉であったことを知ります。

朽木は、教授は以前から知っていたのではないかと考えます。

朽木は多聞に、シャオさんから聞いた話をしました。

そして、多聞との話の中で「山下」君については、「たまひで杯」の名前の由縁となった元芸子「たまひで」のママの戦死した兄であったことが分かりました。

「たまひで」のママの本名は「山下誠子(やました せいこ)、「山下」君の名前は「山下誠一(やました せいいち)」でした。

本小説の第一話で新選組が掲げて走った旗の文字「誠」と同じ語彙がここで再現しています。

朽木と多聞が、京都の夏を彩る「大文字焼き」を眺めている情景で第2話の物語は終わります。