川崎T-4練習機
あまり目立たない存在として練習機があります。
川崎T-4練習機はブルーインパルスの使用機でもあります。
全高: 4.6m (約15ft)
翼幅: 9.94 m(32 ft 7.5 in)
翼面積: 30.84m2 (約332ft2)
空虚重量: 3,840 kg (8,466 lb)
最大離陸重量: 7,500 kg (16,535 lb)
動力: 石川島播磨重工業製 F3-IHI-30またはF3-IHI-30B ターボファンエンジン、 1,670 kgf (16.4 kN) × 2
最大速度: マッハ0.907 (560ノット)
巡航速度: マッハ0.75
失速速度: 167 km/h (90ノット)
フェリー飛行時航続距離: 1,668 km (900海里) ※増槽2基搭載
航続距離: 1,297 km (700海里) ※機内搭載燃料のみ
実用上昇限度: 14,815 m (48,600 ft)
上昇率: 3,078 m/min (10,100 ft/s)
離陸滑走距離: 655 m (2,150 ft)
着陸滑走距離: 704 m (2,310 ft)
川崎T-4練習機はブルーインパルスの使用機でもあります。
T-4とは
T-4は、日本で開発された亜音速ジェット機です。
航空自衛隊において、プロペラ機による初等訓練を終えたパイロットがつづいて訓練するための中等練習機として用いられています。
エンジンを含めた日本の純国産ジェット練習機はT-1Bについで2機種目です。
「ティーよん」や「ティーフォー」と呼ばれるほか、正式な愛称では無いですが、他の航空機に比べ小型で丸みを帯びた姿から「ドルフィン」(イルカ)とも呼ばれます。
開発
1975年より、技術研究本部では、航空自衛隊の次期中等練習機を必要な時期に国内開発できるように研究を進めており、1980年3月31日、航空幕僚監部は次期中等練習機の開発要求書を提出し、昭和55年度中には、国内開発を行うことで防衛庁内で合意に達しました。
そして防衛庁が提示した提案依頼書(RFP)に対し、1981年5月29日には川崎重工業・三菱重工業・富士重工業の機体メーカー3社が応募しました。
各社の案を技術研究本部で比較審査した結果、同年9月4日、川崎重工業の案が採択されました。
開発にあたっては、川崎重工業を主契約企業(分担率4割)、協力企業を三菱重工業・富士重工業(同各3割)として、航空工業界の総力を結集した体制となりました。
川崎重工業では、岐阜工場内に、他社からの派遣人員も含めて100名体制の中等練習機設計チーム(MTET)を設置しました。
従来、新中等練習機は便宜的に"MT-X"と通称されていましたが、1982年6月10日に防衛庁長官の承認を受けた技術研究本部の「57年度技術研究実施計画」よりXT-4と称されるようになりました。
技術研究本部の審査を経て、10月29日には川崎重工から技術研究本部にXT-4の基本設計書が納入され、12月28日に発注された「XT-4中等練習機試作(その1)」を端緒として、昭和61年度までに3次に渡る試作が重ねられました。
これによって製作された試作機1号機(56-5601)は1985年7月29日に初飛行し、以後、4機の試作機を用いて技術研究本部および空自の航空実験団で試験が行われました。
これらの実績を踏まえて、1988年(昭和63年)7月28日に防衛庁長官の部隊使用承認を受けて、T-4として量産が開始されました。
生産・配備
量産機の納入は1988年9月より開始され、以後、各飛行隊のT-33A、後にはT-1A/Bも置き換えながら全国へ配備されました。
またT-2にかわる3代目「ブルーインパルス」としても採用され、1994年8月11日より専用仕様機(戦技研究仕様機)の納入が開始されて、1995年(平成7年)度から運用を開始しました。
15年にわたって量産体制が敷かれ、2003年(平成15年)3月6日の最終号機(36-5812)引渡しまでに、量産機は208機、試作XT-4の4機も含めて212機が生産されました。
平成17年度以降、T-7の初級操縦課程を経て、T-4の基本操縦課程を終了すると、すぐにF-15やF-2といった戦闘機での訓練に移行する課程となりました。
連絡機として使われており、飛行場のある基地には概ね配備されています。
機体
本機の設計は、川崎のKA-850をベースとしており、KA-851と称されていました。
設計段階からコストコントロールに力を入れ、低い開発費と量産価格、経済的な飛行運用コストパフォーマンスを目標としました。
主要構造はアルミニウム合金、一部はチタン合金製とされる一方、厳しい要求性能を満足させるため、垂直尾翼・舵面・フラップ・エアブレーキなどにはCFRPやAFRPなどの複合材料を使用して軽量化を図っており、適用範囲は構造重量の約4.5パーセントとされました。
特にここで実用化された「複合材一体成型構造」は、FS-X(後のF-2)につながる「複合材一体成型主翼構造の研究」の素地ともなりました。
設計にあたっては損傷許容設計(DTD)の概念が導入され、フェイルセーフとあわせて安全性の向上が図られています。
主翼は中翼配置で、低速から高速までの広い飛行範囲において良好な飛行特性を発揮できるよう、新しい遷音速翼型(スーパークリティカル翼型)が採用されました。
また機体形状の空力的洗練が図られており、各部が丸みを帯びた形状にまとめられています。
設計上、特に重視されたのは、遷音速での良好な飛行特性と、高迎え角時の運動性確保の2点でした。
また操縦性安定性はMIL-F-8785のクラスIに準拠しています。
コクピットはタンデム配置の複座で、訓練生が前席、教官が後席に搭乗します。
前・後席で、アイポイントで270ミリの段差がついており、前席で13度下、後席で3度下の前方視界が得られます。
射出座席はステンセルSIIIS-3ERで、ダイセルがライセンス生産しています。
射出の際には、キャノピーに仕込まれた細い導爆線(MDC)を起爆して切れ目を入れて、座席上部のキャノピー・ブレーカーでこれを突き破る方式となっています。
キャノピーは右横開きで、三菱レイヨン製のワンピース構造とされました。
授業用操縦士に必要な計器飛行の訓練もT-4で行われますが、飛行計器のみを見なければならない訓練中に外部を見てしまうのを防ぐため、訓練生が座る後部座席には視界を遮るカーテンとレールを取り付けることが可能です。
また新しい試みとして、機上酸素発生装置(OBOGS)の採用があります。
従来の液体酸素にかわり、エンジンのコンプレッサー抽気から窒素を吸着することで酸素を取り出してコクピットに供給するもので、液体酸素の補給作業が不要になることでターン・アラウンド時間が短縮できるほかにシステムが簡略化されて軽量化を図ることができるメリットがあります。
エンジン
T-2の開発の際、アドーアエンジンの低信頼性に苦しんだことから、XT-4のエンジンには、米軍規格に基づく高い信頼性の確保が要求されました。
川崎重工では、機体規模・構成が近いアルファジェットで採用されていたスネクマ/チュルボメカ ラルザックを提案していましたが、1982年10月29日の決定により、国産のXF3ターボファンエンジンが採用されました。
本機で採用されたF3-30は、1975年より、技術研究本部の第3研究所が石川島播磨重工業(現・IHI)を契約会社として開発してきたXF3-1の推力向上・量産機でした。
9月までにC-1 FTB機による第一期空中試験を終えており、1983年12月までに予備飛行定格試験(PFRT)を完了して、1984年2月には試作機搭載用エンジン3機分10台が発注されました。
最大速度はマッハ0.9とされています。
海面上昇率は10,360フィート毎分を目標としており、T-1やT-33のほぼ倍となりました。
これは訓練環境への適合性の必要から、訓練空域への往復時間の短縮が求められたものでした。
また第13飛行教育団への配備が予定され、滑走路長3,380フィート (1,030 m)の芦屋基地での運用が見込まれたことから、離陸距離2,700フィート (820 m)・着陸距離2,500フィート (760 m)が要求されました。
また基地から遠い訓練空域までの往復が想定されたことから、訓練効率の向上のために高い航続性能が要求されました。
機内燃料搭載量は約600ガロンと、西欧の同種機体よりも多くされました。
因みに、 機内燃料搭載量は、ホークでは450ガロン、アルファジェットでは502ガロンでした。
また新明和工業により、120ガロンの増槽も開発されました。
装備
乗員: 2名
全長: 13.00 m (ピトー管部含む) / 11.96 m (胴体部) 全高: 4.6m (約15ft)
翼幅: 9.94 m(32 ft 7.5 in)
翼面積: 30.84m2 (約332ft2)
空虚重量: 3,840 kg (8,466 lb)
最大離陸重量: 7,500 kg (16,535 lb)
動力: 石川島播磨重工業製 F3-IHI-30またはF3-IHI-30B ターボファンエンジン、 1,670 kgf (16.4 kN) × 2
最大速度: マッハ0.907 (560ノット)
巡航速度: マッハ0.75
失速速度: 167 km/h (90ノット)
フェリー飛行時航続距離: 1,668 km (900海里) ※増槽2基搭載
航続距離: 1,297 km (700海里) ※機内搭載燃料のみ
実用上昇限度: 14,815 m (48,600 ft)
上昇率: 3,078 m/min (10,100 ft/s)
離陸滑走距離: 655 m (2,150 ft)
着陸滑走距離: 704 m (2,310 ft)
設計寿命:7,500時間
ユニットコスト:22億5100万円(平成12年度)
事故
2000年(平成12年)7月4日、第11飛行隊(ブルーインパルス)所属の2機が松島基地から25kmの牡鹿半島上空でレーダーから消失、金華山に墜落し、乗員3名が死亡しました。
この年の3月22日には同基地所属のT-2も同空域で墜落しており、至近の女川原発へ衝突する可能性を合わせ、地元自治体や日本共産党などに非難されました。
再発防止策が自治体に受け入れられるまで1年あまり曲技飛行の訓練が凍結されました。