100歳の大台をめざす91歳の義父





妻の父親である義父は私より2回り年上で、現在91歳で今年誕生日を迎えれば92歳になります。

昔は90才を越えると、もうヨボヨボで歩くのも、ままならぬ古老のイメージが強いと思います。
実際、義父の周りの同じ年頃の老人は杖をつき、ほとんどそのような人ばかりです。

ところが、義父は買い物にリュックを担いで元気に歩き回るし、水を入れたペットボトルをダンベルがわりに、朝晩の腕の筋トレを習慣とするほどしっかりしています。

頭もボケることなく、好きなテレビを見ながら、政治論議を好み、暗算などは私などより素早くできるのには全く舌を巻きます。

多分100の大台までは、このまま行けるのではないかと期待しています。

87歳の義母は少し腰も曲がって杖をつき難儀しながら、病院に通っていますが、義父は少し耳が遠くなり血圧や腎臓の定期検査のため病院に通ってはいますが、背筋をすっくと伸ばし、杖など使わず大股で歩いていく様はとても90代とは見えません。

義父はスーパー老人とはいかないまでも、その健康状態には掛かりつけの主治医も首をかしげるほど元気で、そのうち研究対象としてお呼びが掛かるかもしれません。

健康寿命とはWikipediaでは「日常的・継続的な医療・介護に依存しないで、自分の心身で生命維持し、自立した生活ができる生存期間のこと」とあります。

要は寝たきりにならず、介護などの世話にならず、自分のことは自分でできる状態であると思いますが、義父は立派にそのような状態を維持できていると思います。

健康寿命とは一般に男性72歳、女性74歳と言われるらしいですが、67歳の私などはもう少しではないか、と今から戦々恐々としています。

義父はごくごく普通の市井の人で、長いサラリーマン生活後、58歳で定年退職してマンションの管理人を80過ぎまで勤めあげて、今はようやく平穏で静かな生活を送っています。

義父の現在の生活は基本的に早寝早起きで、昼寝を欠かしません。

つい一年前にたばこを断つことができましたが、それまではたばこを毎日吸っていました。


年金だけの生活で、住んでいる区分所有のマンション以外はほとんど財産が無く、経済的に豊かというわけではないのですが、年金の範囲内で現在の生活は上手く回っています。

食には贅沢はできないのですが、3食はきっちり採って、毎夕食後に焼酎一杯の晩酌を楽しむ至ってつましい生活です。

義父は数年前にすでに自動車免許を返上し、事故を心配して自転車さえ乗るのを止めてしまいました。

義母は心臓が弱く足が不自由なので、食料や日用品は、数日毎に義父が15分くらいのところにあるイオンへ歩いて買い物をしてきます。

家では小説を好んで読み、毎日の写経の後、好きなゴルフ中継をテレビで楽しんでいます。

このような生活のどこに義父の健康の源があるのかよく分かりませんが、多分お金は無くともゆったりと静謐な生活が源泉となっているのかもしれません。

これから先、心配ばかりの私たちに対して一つの模範を示しているように思います。

お金も名誉もある老人が、贅沢な生活と至れり尽くせりの医療を受けていながらも、歩くのもままならぬほど健康が悪化し、病魔に苦しみながら、義父よりも先にばたばたとこの世を去っていくのを見るにつけ、一体どうしてなぜと思うこの頃です。

私も60代後半に入り、このまま年を重ねてどこまで行けるか分かりませんが、できたら死ぬ直前までは義父のように元気でありたいと思うのです。

年を上へ上へと積み重ねていく義父を見るにつけ、年をとるとはどういうことかということをいつも考えさせられます。