小説を読む習慣

最近は、どこへ行くにも単行本の小説を持って行きます。


バスの中、電車の中、病院で待っている間、いつでもどこでも少し時間のある時、取り出して読みます。


といっても、それ程昔からの小説ファンというわけではありません。


まだ会社生活で仕事が多忙であった時、仕事で難しい局面にあった時、気分転換に読み始めたのがきっかけでした。


いつぐらいからだったか、多分40代の終わりぐらいからだったような気がします。


小説は読み始めると没入感があって、読んでいる間は他のことを忘れることができます。


習慣化すると、ホリックのようになりますが、普段の生活とは異なる、作家の作り出す別感覚の虚構世界へ入っていけるところが魅力です。
最初に小説を読み始めた頃は、どれから読み始めたらよいか分からなかったので、直木賞と芥川賞の受賞作品の一覧表をそれぞれコピーして真ん中位から、新しい方向へ向かって、あるいは古い方向へ向かって読み始めることにしました。

いまだに直木賞・芥川賞すべての小説を読破するに至っていませんが、この方法は小説を読み始める人にはお勧めと思います。


私はとてもケチで、読んだ小説を自分の手元に置いておきたいという欲求は全くないので、図書館で読みたい小説を予約して借ります。


ですから、自分の家に読んだ本を書棚にずらりと並べて置くということは全くありません。

また巷で評判の最新の小説を、どうしても今すぐ読みたいという拘りもありませんので、数年経って皆の関心が薄れた頃に読むのが私にとっては丁度良いくらいです。
借りてくる小説も、途中巻末のお勧め小説などへ寄り道して、直木賞・芥川賞一覧表の通りに進みませんが、それでも新しい方向へ最新の2~3年前までのところまでは行き着いてしまったので、図書館では中々借りられなくなりました。

それで予約して借りられるまで、最近はもっぱら古い方向へ向かって借りて読んでいますが、ある程度古くなると中にはぼろぼろで字体も読みにくかったり、現代の感覚では理解できないようなストーリーもあります。


古い小説を読むことは、それが書かれた時代の風潮を追体験する事と言えるかもしれません。
一般的に直木賞作品は大衆小説なので読みやすく、芥川賞作品は純文学で、書いてある内容を理解するのが困難なものが多いです。


従って私の読む小説は直木賞作品の方が多いです。


現在は日本文学がほとんどですが、これからは海外のノーベル文学賞受賞作家の代表作も読んでいきたいと思っています。

定年退職後はブログも私の趣味の一つになったので、読んだ小説中の文章に触発されることも少なからずあります。