世界記録を持つトンネルと夢のあるトンネル

トンネルは車でも電車でも中へ入ると、中々心が落ち着かず、出る時はぱっと心が晴れて解放された気分になります。

トンネルの中を走っている時に、これがとても長いトンネルだったら一体どうだろうといつも思うことがあります。

しかしトンネルを使わなかったら、とてつもなく長い回り道を走らなければならないことも確かです。

トンネルとは

トンネル(英: tunnel、英語発音: [ˈtʌnl])とは、地上から目的地まで地下や海底、山岳などの土中を通る人工の、または自然に形成された土木構造物であり、断面の高さあるいは幅に比べて軸方向に細長い地下空間をいいます。

1970年のOECDトンネル会議で「計画された位置に所定の断面寸法をもって設けられた地下構造物で、その施工法は問わないが、仕上がり断面積が2平方メートル (m2) 以上のものとする」と定義されました。

人工のものは道路、鉄道(線路)といった交通路(山岳トンネル、地下鉄など)や水道、電線等ライフラインの敷設(共同溝など)、鉱物の採掘、物資の貯留などを目的として建設されます。

日本ではかつて中国語と同じく隧道(すいどう、ずいどう)と呼ばれていました。

常用漢字以外の文字(隧)が使われているために、今日では一般的には「トンネル」と呼ばれるようになりましたが、トンネルの正式名称に「隧道」と記されることも多いです(青函隧道など)。

鉄道や道路のトンネルには「入口」「出口」が決められており、起点に近い方が「入口」となっています。

新幹線で例えると、東京寄りの坑口が「入口」であり、その反対側が「出口」です。

歴史

トンネルは世界各地に古くから人間の手によって造られてきました。

トンネルの歴史は古く、灌漑用水路として古代に造られていますが、紀元前交通路としての建設は紀元前2000年頃にユーフラテス川の河底を横断する歩行者用のトンネルがバビロンに造られたのが最初とされています。

また、古代ローマや古代ギリシアには数多くのトンネルが造られ、現在に至るまで使用されているものも存在します。

日本では近代までトンネルは発達せず、1632年(寛永9年)に現在の金沢市で着工された辰巳用水が日本最初のトンネルではないかといわれています。

代わりに峠道が発達し、五街道をはじめ各地で整備が行われました。

交通路のトンネルとしてよく知られるのは、1764年(明和元年)頃に、禅海が20数年の歳月をかけて槌とノミだけで完成させたと伝えられる耶馬渓の青の洞門があります。

機械動力の無い時代、あるいはその確保が困難な場合、トンネルの掘削はツルハシやノミなどの器具を用いた人力に頼るしかありませんでした。

日本においては青の洞門(大分県中津市本耶馬渓町)や中山隧道(新潟県長岡市 - 魚沼市間)がその端的な例です。

近代になり鉄道技術が発達すると、ヨーロッパにおいて鉄道を通すためのトンネルが多く作られるようになり、著しくトンネルの掘削技術が向上しました。

ダイナマイトが発明されると、これを用いた発破によってトンネル建設の効率は飛躍的に高まりました。

さらに、様々な建設機械・工法の出現によってトンネル技術は21世紀になっても進化を続けています。

ゴッタルドベーストンネル

人間が往来するトンネルとして世界最長のものは、スイスの鉄道トンネル、ゴッタルドベーストンネルで、全長57.1kmあります。


ゴッタルドベーストンネル(英: Gotthard Base Tunnel)あるいはゴッタルド基底トンネル(ゴッタルドきていトンネル)は、スイスのアルプス山脈・ゴッタルド峠付近において、アルプトランジット計画に基づいてゴッタルド鉄道トンネル(1881年完成)やゴッタルド道路トンネル(1980年完成)より深い地下に建設された鉄道トンネルです。


2本の単線トンネルで構成され、ウーリ州エルストフェルトとティチーノ州ボディオを結んでいます。


全長は57km、縦坑や関連する連絡路を含めた総延長は153.5kmに上ります。


2016年6月1日に開通して、青函トンネルを抜いて世界最長の鉄道トンネルとなりました。

青函トンネル

世界最長の海底鉄道トンネルは青函トンネルで、全長 53.85 km、海底部長 23.3 kmです。

 

青函トンネル(せいかんトンネル)、又は青函隧道(せいかんずいどう)は、本州の青森県東津軽郡今別町浜名と北海道(渡島総合振興局)上磯郡知内町湯の里を結ぶ北海道旅客鉄道(JR北海道)の鉄道トンネルです。


津軽海峡の海底下約100mの地中を穿って設けられたトンネルで、全長53.85 kmは交通機関用のトンネルとしては日本一および東洋一です。

全長は約53.9kmであることからゾーン539の愛称がありました。


交通機関用トンネルとしては世界2位の長さであり、海底トンネルおよび狭軌のトンネルとしては世界一の長さと深さを持つ交通機関用トンネルです。

海底部の総距離では英仏海峡トンネルが世界一の長さを持ちます。

1988年3月13日に開通してから2016年6月1日にスイスのゴッタルドベーストンネルが開通するまでは、世界一の長さを持つ交通機関用トンネルでもありました。

万一、列車火災事故などが発生した場合に列車を停止させ、乗客の避難誘導及び消火作業を行うため、青森県東津軽郡外ヶ浜町竜飛および北海道松前郡福島町館崎の陸底部2箇所(海岸直下から僅かに海底寄り)に定点という施設が設置されました。

開業後はこの定点をトンネル施設の見学ルートとしても利用する事になり、それぞれ「竜飛海底駅」、「吉岡海底駅」と命名されました。
 

この2つの駅は、見学を行う一部の列車の乗客に限り乗降できる特殊な駅でしたが、吉岡海底駅は2006年(平成18年)8月28日に長期休止となりました。

また竜飛海底駅も2013年(平成25年)11月10日をもって休止となりました。

なお、これらの海底駅は2014年3月15日に、鉄道駅としては廃止され、現在は「竜飛定点」、「吉岡定点」となっています。
 

竜飛・吉岡定点はそれぞれ竜飛・吉岡斜坑を通じて地上に脱出できるようになっており、これらの斜坑にはケーブルカーの他、階段(段数1,317段)が設置されています。

健脚の場合、階段の歩行時間は25分程度です。

英仏海峡トンネル

海底部が世界最長の鉄道トンネルは、英仏海峡トンネルで、全長 50.49 km、海底部長 37.9 kmです。


英仏海峡トンネル(えいふつかいきょうトンネル、英: Channel Tunnel, 仏: Tunnel sous la Manche)は、グレートブリテン島(イギリス)とヨーロッパ大陸(フランス)間のドーバー海峡(英仏海峡)を結ぶ、鉄道用海底トンネルです。

英仏両語では単に「海峡トンネル」と呼ばれます。

他にドーバー海峡トンネルまたはユーロトンネルと呼ばれる場合もあります。


海底中央部分にクロスオーバー(渡り線)を持つ直径7.6mのレールトンネル(鉄道トンネル)2本と、その中間の直径4.8mのサービス(保守用)トンネルの3本からなり、3本のトンネルをつなぐ連絡通路が各所に設けられています。

2本のレールトンネルにはさらに列車の進行に伴って生ずる風圧を逃がすためのダクトが複数設けられています。

海底部の総距離では青函トンネルを抜いて世界一の37.9kmであるが、陸上部を含めた全長は50.5kmで、これはスイスのゴッタルドベーストンネル、青函トンネルに次いで世界第3位です。


計11機(イギリス製6機、日本製4機、アメリカ製1機)のTBMが発注され、イギリス側から6機、フランス側から5機で掘り進められました。

日本製のうち2機は川崎重工業製です。

フランス側からの掘削に参加した川崎重工業がかなりの難工事をこなしたことで、『プロジェクトX』にも取り上げられています(放送は2001年9月25日)。

そのほか、en:George Wimpeyやベクテルが施工に参加しています。

通常、トンネルの両端から掘り進むTBMはトンネル中央部まで来ると、自身をトンネル構造物の一部にしたり、左右に掘り進んでトンネル経路を外れそのまま埋めて投棄したりします。

TBMが各建設事業ごとのオーダーメイドで他の工事では使えないこと、地上まで運び出すよりは埋めてしまったほうが安上がりなことなどから、このような方法がとられます。

イギリス側のTBMは掘削完了後、トンネル経路より下方向に潜り込ませ投棄されましたが、フランス側のロビンス/コマツ、ロビンス/川崎重工業のTBMはイギリスまで進み、地上に記念展示されたのち分解されました。

キャッツキルアケダクト

世界最長のトンネルは、ニューヨーク市へ続く水道トンネル、キャッツキルアケダクトで、全長 147.2 kmです。


キャッツキルアケダクト(英語名:Catskill Aqueduct)は、キャッツキル山地のアショカン貯水池からニューヨーク市まで水道水を供給するための、トンネル構造の上水道導水路です。

全長147.2キロメートルで、世界一長いトンネルです。

ニューヨーク市への水道水供給の40パーセント以上を担います。

建設は1907年に始まり、導水路は1916年に完成しました。

3つのダムと67のシャフト(立坑)を含むキャッツキル水道システム全体は1924年に完成しました。

この水道システム全体の総工費は$1億7700万でした。

32マイル (51 km)の区間は技術者のFrank E. Winsorが建設を監督しました。

ラルダールトンネル

世界最長の道路トンネルは、ノルウェーのラルダールトンネルで、全長 24,510 mです。


ラルダールトンネル(諾:Lærdalstunnelen)は、ノルウェーの西部ソグン・オ・フィヨーラネ県にあるラルダールとアウルランを結ぶ道路トンネルです。


全長は24.5 kmで、道路トンネルとしては世界最長です。

1995年に建設が始まり、2000年に完成しました。

このトンネルはオスロとベルゲンを結ぶ欧州自動車道路E16号道路の一部です。


トンネルを通過する所要時間は20分程度に及びます。

走行中のドライバーの疲労軽減を図るため、6キロ置きに色鮮やかな照明で照らされた区間(写真参照)や休憩ができる場所(結婚式を行うことも可能)を設けるなど様々な工夫が施されています。



構想・日韓トンネル

日韓トンネル(にっかんトンネル)は、日本の九州と韓国(朝鮮半島)をトンネルで結ぶ構想、またはそのトンネルのことです。
 

日韓トンネルは、九州と対馬の距離132km、対馬と韓国は距離50km、最深部の水深は220mとなります。

九州と朝鮮半島を結ぶトンネルを掘る構想の原点は、1930年代に立てられた「大東亜縦貫鉄道構想」でした。

これは当時日本領であった朝鮮半島の南端の釜山府(現:釜山)を起点とし、京城府(現:ソウル)を経て安東(現:丹東)から当時の満州国領内へ入り、奉天(現:瀋陽)を経由して中華民国領内に入り、北京、南京、桂林を経て、ハノイ、サイゴン(現:ホーチミン)、プノンペン、バンコク、マレー半島を通りシンガポールに至る約10,000kmの路線を建設する構想でした。

さらに1940年代に東京 - 下関間を結ぶ弾丸列車計画(後に新幹線として実現)が立てられた後、1942年には「東亜交通学会」が設立され、日本本土(内地)から壱岐、対馬を経て釜山へ至る海底トンネルを建設し、上記の大東亜縦貫鉄道と結んで東京 - 昭南(シンガポール)間を弾丸列車で結ぶ構想が立てられました。

日本本土側の起点は下関、博多、呼子(現:唐津市)などが考えられていました。

実現に向けて対馬や壱岐でボーリング調査などが実施されましたが、これらの計画は第二次世界大戦の終戦によりすべて頓挫しました。
 
夢の

戦後は韓国の統一協会系「日韓トンネル研究会」(NPO法人)や日韓海底トンネル推進議員連盟が、同トンネル構想の推進をしていました。

そのほか日本の建設会社の大林組が「ユーラシア・ドライブウェイ構想」の一環として1980年代当時に実現可能であった技術で構想していました。


具体的な実現性については、建設にかかるコストとそこから生み出される利便について様々な意見があり、また日韓間のコスト負担比をどうするかの議論がありました。

2011年1月、韓国の国土海洋部は「韓日海底トンネルは経済性がない」との調査結果とともに推進中断を明らかにしました。

反対理由としては、霊感商法などで社会的な非難を浴びる統一教会主導の建設運動である点 、反日国家である韓国と日本がトンネルで陸続きになることによる、対馬、壱岐、福岡の治安の悪化、巨額の建設費と維持費への疑問 、地震で活断層がずれトンネル内に海水が侵入した場合の災害リスク 、北朝鮮が存在しているため、中国・ロシアないしヨーロッパとはそこで寸断されてしまう可能性、国防上の問題 、貿易関税の問題、が挙げられています。

推進理由としては、主に日韓間、ひいては朝鮮半島の統一をにらんだ日本とユーラシア大陸各地の物流の活性化を主な推進理由としています。
また「日帰り圏が韓国南部と九州・中国地方に形成され、新たな観光需要が期待される」「トンネルに併設されるパイプラインや高圧送電線により、ガス・電力の多国間融通が可能になりエネルギー産業の発展が期待できる」というのも推進理由に挙げられています。

全長300kmにも及ぶ日韓トンネルのような海峡長大トンネルは、青函トンネル、英仏海峡トンネルで実績のある鉄道トンネルの方が現実的と思われています。


構想・宗谷トンネル(日露トンネル)

宗谷トンネル(そうやトンネル)は、将来、北海道とサハリン(日本名:樺太、以下サハリンと表記)の間で建設が構想されている海底トンネルです。


日本とロシアを結ぶことから日露トンネル(にちろトンネル)とも呼ばれます。
北海道の最北端・宗谷岬とサハリンの最南端・クリリオン岬(日本統治時代の名称:西能登呂岬)の間は約43kmで、この直線上で宗谷海峡(ロシア名:ラペルザ海峡)の最深部は約70mです。

宗谷岬とサハリンの最南端の岬の間の宗谷海峡の距離は43km、最深部の水深は70mです。

サハリンと大陸との間の間宮海峡は距離は7.3km、最浅部は8mと冬の間は凍結して徒歩で横断することも可能です。

北海道とサハリンでは、地質には大きな違いがなく、技術的な側面では、トンネルの建設は青函トンネルほど難しくはないと見込まれています。

さらに、タタール海峡(日本名:間宮海峡)にも海底トンネル(サハリントンネル)を建設すると、線路の上では枕崎駅からヨーロッパまでつながることになるため、日本の鉄道とバイカル・アムール鉄道、シベリア鉄道との直通運転のみならず、モスクワからさらに西側の西欧方面とも直通運転を行い、上野発パリ・ロンドン行きなどの欧亜直通列車に組み込み、一大物流網の中継地とすることも視野に入れられています。

実際、スターリン時代に間宮海峡トンネルの建設が開始されたが、その後、建設は中断され現在に至っており、近年、建設再開の動きもあります。

日本と欧州を結ぶルートとして比較すると、日韓トンネルと比べても、はるかに建設費が安く済み、また、効果も大きいとされています。

2000年代末 - 2010年代に入ると、本計画についてはロシア側から度々議題にあがり、ロシア側によれば「日本と協議している(あるいは協議中)」「話し合いたい」などと発表しているが、日本政府やJR関係者などからは本計画に関して何ら声明が発表されていません。

ロシア側はプーチン首相の発言などから日本との貨物列車による物資輸送による貿易活性化によってサハリン州や極東地域の経済の活性化を期待しています。