赤福の雑学

私は名古屋に来るまで、赤福を知りませんでしたが、私は酒は下戸なので大の甘党で、時々食べたくなります。

名古屋では、伊勢まで行かなくても、赤福は駅周辺でよく見かけます。

赤福餅

赤福餅(あかふくもち)は、三重県伊勢市の和菓子屋赤福の和菓子商品です。

餅菓子であり、いわゆるあんころ餅の一種です。

餅をこしあんでくるんだもので、こしあんには三つの筋が付き、五十鈴川の川の流れを表しているとされます。

餅は傾けて持ち帰ると崩れることがあるほど非常にやわらかいです。


中京・近畿圏のJR線主要駅や近鉄沿線の特急停車駅、サービスエリア、百貨店、空港売店などで、広範囲に発売されています(遠くは岡山県でも販売されました)。



この販売エリアは伊勢神宮の信仰が特に強い地域とほぼ等しいという説もあります。


基本的に直営店と在庫を管理する営業所の近辺に限られます。 

茶店風の本店が伊勢神宮内宮前のおかげ横丁にあり、そこでは例年、夏場に「赤福氷」という、抹茶氷に赤福餅を入れたもの、冬場は赤福の餅と餡を使った「ぜんざい」が供されています。
この「赤福氷」と「赤福ぜんざい」は、本店の他に、伊勢志摩地区・名古屋地区・大阪地区の一部の直営店でも、季節限定品として供されています。

本店前には、山口誓子が早朝の様子を詠んだ句碑が置かれています。


歴史 

赤福経営者である濱田氏は、濱田ます(8代当主・種三の妻、企業としての赤福初代社長)の口述によると、先祖は応永年間(1394年 - 1427年)に宇治に移住して来たとのことですが、それ以前のことは不明であるようです。 

赤福の正確な創業年は不明ですが、江戸時代初期には皇大神宮(伊勢神宮内宮)前、五十鈴川のほとりで既に「赤福」の屋号を持つ餅屋を営んでいたといわれます。


1707年(宝永4年)執筆、1708年(宝永5年)刊行の市中軒の浮世草子『美景蒔絵松』に、伊勢古市の女が「(恋仲になった男が)赤福とやら青福とやら云ふあたゝかな餅屋に聟に入りを見向きもしなくなってしまい、その裏切りがくやしうて泣いております」と嘆いたという話があり、これが「赤福」の屋号の初出となっています。

そのため、現在は1707年を赤福の創業年としています。 

また、薗田守理『秘木草紙』によると、古老の話として、昔の赤福はささやかな店で、今の濱田氏と血縁のない浜田という老女が経営していたという話です。 


「赤福」の名は1895年(明治28年)の『神都名勝誌』では、餡を入れた餅を大福と呼ぶ対比として、赤い餡をつけた餅であるから赤福と称したと推察しています。

1929年(昭和4年)の『宇治山田市史』ではこの説を採用し、その他の説はこじつけであるとしていますが、赤福のホームページではまごころ(赤心)をつくすことで素直に他人の幸せを喜ぶことが出来る(慶福)という意味の「赤心慶福」(せきしんけいふく)に由来するとしています。

名前の「赤」にちなんで包装も商品名のロゴも赤いですが菓子自体の色は厳密には小豆色であり赤ではありません。


当初は、砂糖が貴重品であったために塩味の餡でした。

1727年、江戸幕府の8代将軍、徳川吉宗が砂糖の原料となるサトウキビの栽培を奨励し、砂糖の生産高が増えたことから、赤福も次第に黒砂糖餡を使うようになりました。

1911年(明治44年)、昭憲皇太后(明治天皇の皇后)が神宮参拝の折、赤福餅を注文しました。

赤福は、甘みと灰汁の強い黒砂糖餡では、「皇后陛下のお口に合わないのではないか」と案じ、白砂糖餡の特製品を献上した結果、無事好評を博したということです。

この結果、一般販売にも白砂糖餡を使うようになり、現行の赤福餅が完成しました。

赤福では、昭憲皇太后の注文を受けた5月19日を「ほまれの日」と定め、包装紙にも「ほまれの赤福」と称するようになりました。 

しばらくの間は、黒砂糖餡を「赤福」、白砂糖餡を「ほまれの赤福」として販売していましたが、その後後者に統一されました。

なお消費期限及び製造日、原材料表示偽装事件(製造後冷凍していたものを、随時解凍した際の日付で製造日を改竄していた)発覚後、営業再開した新パッケージでは、「ほまれの」と言う文字は削除されました。

なお現在、パッケージの包み紙には「ほまれ」の文字が記載されています。 

本店での店頭では、手作りの実演販売がされていますが、現在は手作り品はその場で提供する分など一部に限られます。

包装品は原則として工場生産です。

工場は1977年(昭和52年)より、本店そばから伊勢市朝熊町に移転しました。

さらに、朝熊町の本社工場は操業能力や津波対策に問題があるとして、伊勢市神薗町の神薗工業団地へ再移転の予定です。 


消費期限

保存料を使わない生菓子であり、本来の消費期限は夏期は製造年月日を含め2日間、冬期は3日間です

創業300年となった2007年に、冷凍保存していた製品を、解凍日を製造年月日として出荷していたこと、さらに売れ残り商品の再利用をしていたことが明るみに出ました。

三重県が10月19日より「赤福」を無期限の営業禁止処分としたことで(2008年1月30日に解除)、経営問題に発展しました。


朔日餅(ついたちもち)

1月を除く毎月1日にその月にちなんで発売される餅です。

朔日参り(朔とは太陰太陽暦こと和暦の旧暦における新月である月の第一日目のこと)の参拝客へのもてなしに1978年に発売開始されました。


開始当時は、店で食べるのみでしたが、後に持ち帰り用が発売されるようになり、現在では、本店及び四日市市・名古屋市・大阪市・神戸市にある百貨店内の直営店で予約販売をするようになりました。


おかげ横丁

「赤福」が『約300年間変わらず商いを続けてこられたのもお伊勢さんのおかげ』との感謝の気持ちを込めて立ち上げた現代の鳥居前町です。

伊勢の代表的な建築様式を取り入れた町並みに、四十あまりの伊勢名物の店舗が軒を並べており、おみやげ購入やつまみ食いを楽しめる無料のミニテーマパーク(一部有料の資料館あり)となっています。
類似製品

赤福に似た形状のあんころ餅は各地にあります。

中でも御福餅(おふくもち)は赤福と同様、江戸時代に創業し、伊勢市で製造・販売されているあんころ餅で、波形の形状も赤福とそっくりであり、ピンク色基調のパッケージも赤福と同様ですが、全く別の会社の製品です。

ほかに三重県伊賀市の名阪国道下り線の伊賀インターチェンジ横にある伊賀ドライブインでは「伊賀福」と称する類似品が発売されています。

これは赤福に比べ餡の色が薄く甘さも控えめです。

名古屋市天白区の朝倉商店が製造している「名福餅」という商品もあり、こちらは西名阪自動車道の香芝サービスエリアなどで購入できます。