古川真人の「背高泡立草」を読んで


古川真人の芥川賞受賞作「背高泡立草」を読み終えました。

登場人物の会話が方言で表現されていて、時々何を言っているのか分からないことがありますが、方言であるがために、全体的に柔らかく、リアルに感じられるところがあります。

話の筋立ては、ある島にある実家の納屋の雑草を刈るために、娘や孫たちが訪れるところから、再び島を離れて帰るまでの一日の出来事について書かれています。

登場人物は、戸主が絶えた吉川家の実家の引受人として一人住む90歳近い敬子、実家の養女で敬子の実の娘の美穂、敬子の娘で美穂の姉の加代子、敬子の長男で加代子の兄の哲雄、美穂の娘の奈美、加代子の娘の知香、以上6人です。

哲雄は定年を迎えた年齢であり、奈美と知香は30近い年齢ですから加代子と美穂は40代後半から50代の設定と思われます。

話続ける女たちは姦しく、帰っていくときの情景も、「ちょうど一時に発するさまざまな声が塊となったまま、小口から出ていった。だが、外の通路に面した磨りガラス超しにはまだ、その声の一段の着るそれぞれの色が揺れながらのろのろと動いていくのが見えていた。」と描かれていて、そのにぎやかな様が、目に浮かぶようです。

挿話として、4つ書かれています。

1つ目の話は、雄飛熱と題されています。

実家の古い家の以前の持ち主で、戦争中に満州熱に浮かされて妻子を伴って渡っていった男の話があります。

そのまま小さな島に留まれば、農業をしながら終えてしまうであろう40前の男が一旗揚げたいと夢見て、子供を抱え、現実をみて反対する妻との葛藤の末、中国へ渡りその先どうなったかは書かれていません。

島に帰ってきたとは書かれていないので、恐らく歴史の波間の中に消えてしまったということでしょうか。

2つ目の話は、芋粥と題されています。

戦後、韓国へ引き上げる船が遭難して、辛くも島の漁師たちに救出された男の話です。

当時実家の広い土間に、難破した朝鮮人の多くが受け入れられ、火を焚いたり、芋粥を作って供された様子が描かれています。

遭難した中にいた演説家の父親と母親がいつの間にかいなくなり、母親が置いていった子供を使って、芋粥の大きな丼を手に入れた男の迷える心を描いています。

3つ目の話は無口な帰郷者という題です。

クジラのとどめを刺す刃刺を生業としていた青年が、雇われて北の果ての海と島へ渡り、半年が経とうかという頃に帰郷した話です。

青年が無口になったのは、年長の刃刺しが冗談半分に、人と極力ふだんから会話をしないことが、水中で呼吸を長く止められる秘密の方法だと教えられて、愚直に守りつ続けたことがいつか青年自身の習性になってしまったようです。

帰郷後に、村の人々は青年から北の海や北海の島でどう過ごしてきたのかを聴こうとするが、無口な青年は相変わらす寡黙で、多くを語りませんでした。

ある日、小高い丘の上で、沖を泳ぐクジラを見つける山見の仕事についている男に、呼び止められて、青年はとつとつと北の島でのことを話しはじめるのですが、話すこと自体がままならず、話の筋道をもどっていく癖によって、結局聞いている男にとっては、青年は口を苦しそうに閉じたり開いたりしているだけで、すこしも話をしなかったような気がしたという話でした。

4つ目の話はカゴシマヘノコと題されています。

島の敬子の店の隣にある今は誰も住んでいない酒店の中に置かれていたカヌーにまつわる話でした。

母に逃げられた酔漢の父親に殴られて育った中学生の少年が、ある日、家の前に停まる父の軽トラックに黄色いカヌーが積んであるのを見つけます。

父親は唐突にカヌーを漕いで対馬でも佐賀でも大分でも、とにかく自分の体力の続く限り遠くの海を渡ってくるように言い出します。

少年は父親に対して、旅費として30万円もの金をあらかじめ持たせてくれるという確約をとりつけます。

そして少年はパドルで沖へ漕ぎ出し、海の上で逡巡を繰り返しながらも、島へ辿りつきます。

島で会った男に、どこから来たのかと尋ねられて、出まかせにカゴシマヘノコと答えます。

少年は、男に嘘をついて、一緒にいた酒屋の老婆にカヌーを預かってもらい、そのまま30万円を持って逃げだしたという話でした。

これらの挿話が途中で、行きつ戻りつ展開するので、少し混乱することがあります。

物語の主題の登場人物がほとんど女性であるのに対し、副題の挿話の登場人物はすべて男性です。

しかし皆、時の流れの中に泡のように浮かび、誰にも知られることなく消えていく人々の話であり、そこに作者のそこはかとない想いが感じられます。

雑草を刈る6人の賑わいの中で、過去から繋がり出た4つの話の登場人物もまた、ざわざわとした雑草の中に立ちあがり、やがて忘却という釜で刈ら取られて、跡形もなくなくなってしまうのでしょう。