巻きずしの雑学

寿司と言えば、握り寿司が代表的ですが、いなり寿司、押し寿司、巻き寿司、等々色々あります。

寿司の中でも、巻きずしは最も一般的で、バリエーションも多いので飽きることがありません。

巻き寿司

巻き寿司(まきずし)は、海苔などの材料で酢飯や具材を巻いた寿司の一種です。

巻き寿司は海苔や昆布などの食材で酢飯や具材を巻いたものと、禾本科植物の葉を使って酢飯や具材を巻いたものの二つに大別されます。

一般的には、巻き簾(まきす、まきすだれ)上の海苔に酢飯を広げてその上に具(巻芯)を乗せて巻いたものを指すことが多く、海苔巻き(のりまき)とも呼ばれます。

江戸前寿司の基本的なものの1つで巻物(まきもの)ともいいます。

巻き方は地方や店舗によって異なりますが、断面が方形あるいは円形のものが多いです。

寿司店以外でも、弁当屋などの店舗や家庭で作られることが多い寿司です。

一般的に使用される具材には、マグロ、きゅうり、海老、卵焼き、ツナ、かんぴょう、いか、紫蘇、たくあん、納豆、などがあります。


歴史

「巻鮓(まきずし)」の文字が初めてでくるのは、1750年に刊行された料理本『料理山海郷』です。

その後、1776年刊の料理本『新撰献立部類集』には、「すだれに浅草海苔、フグの皮、または網を敷いて上に飯を置き、魚を並べて、すだれごと巻く」「紙に敷いた場合には紙を取り、小口から切る」とあるように、ほぼ今日的なスタイルの巻寿司が登場します。

さらに、1802年刊の料理本『名飯部類』で、いろいろな種類の巻寿司が紹介されていることから、巻寿司は江戸中期の1750~1776年の間に生まれ、1783年頃に一般化したと考えられています。

巻寿司が誕生して間もないころは、薄焼玉子で巻いた巻寿司や、浅草海苔やワカメ、竹の皮で巻いた巻寿司など、海苔以外のもので巻いたものも多くあったようです。

板海苔は、1700年代前半に、浅草紙の紙漉き製法をヒントに生まれたと考えられており、巻寿司を海苔で巻くようになったのは江戸が発祥と考えられています。

江戸時代の風物が紹介されている『守貞漫稿』(1837年刊)には「海苔巻」としてかんぴょうの細巻が紹介されています。

ちなみに、『新撰献立部類集』『名飯部類』は関西で刊行された書物ですが、複数の具材を巻く太巻きが紹介されています。

この頃から関西では豪華な太巻が好まれ、江戸では具材をたくさん巻くのは粋ではないとすっきりした細巻が好まれていたようです。

寿司は江戸時代末期から高級な店舗と廉価な屋台にわかれて発展しました。

明治時代まで「外売り」が主で、家庭で作って食べるものではありませんでしたが、大正~明治時代になって、家庭でも巻寿司や稲荷寿司、五目寿司などが作られるようになり、昭和初期の頃には、年中行事やお祝い事のあったときなど、家族にとって特別な「ハレの日」に作る、ご馳走メニューの1つになりました。


海苔

板海苔のあぶり方は備長炭のような木炭の強火で遠くから2枚ずつ、青色になるように手早く焼きます。

海苔を巻くには巻き簾を用います。

海苔がパリパリの香ばしさを保った破れやすい状態で巻くことから、素早く繊細に巻くことが必要となります。

海苔の表が外側になる方向で使用します。

海苔巻きずしに欠かせない海苔は昭和24年マンチェスター大学キャスリーン・メアリー・ドリュー=ベーカー教授が海苔の糸状体を発見し九州大学瀬川宗吉教授へ教示、熊本県水産試験場太田扶桑男技師へ伝えられ1953年人工採苗に成功しました。

海苔は養殖により安定供給可能となり、1975~1984年には全国的に過剰生産時代へ入りました。 

主要な生産地は佐賀県・福岡県・兵庫県・熊本県ですが近年急激に韓国からの輸入が増加しています。

細巻

江戸前寿司における海苔巻きの基本であり、具にかんぴょうを使用し丸く巻くものが標準です。

その黒い細身の姿から鉄砲巻きとも呼ばれます。

直径3cm程度の口に入れやすいのもので、半分に切った海苔で巻きます

大抵は具が1種類のみで、2等分に切り、さらに2等分もしくは3等分に切ります。

このようにして、かんぴょう巻は4等分に、他の細巻きは6等分にします。

かっぱ巻

キュウリを使用し、店舗・家庭により「きゅうり巻」とも言います。


河童(かっぱ)の好物がキュウリであることに由来します。

当初の名称は「きゅうり巻き」でした

なお、スシローくら寿司では、ライバル店のかっぱ寿司を連想させるということで、「きゅうり巻き」の名称を使っています。

鉄火巻(てっかまき)



鉄火巻は鮪(まぐろ)を使用します。

使用されるマグロが火で真っ赤に熱せられた鉄と同じように赤いこと、博打を行う場所(鉄火場)において片手間に簡単に食べられていたなど諸説名前の由来があります。

太巻

細巻より太めの巻物を「太巻き」と呼びます。


板海苔を1枚もしくはそれ以上を使い、多種類の種(たね)を用い、太さは直径5cm以上となります。

厚さ2-3cm程度に輪切りにして食されることが多いです。

標準的な種は、玉子焼き・高野豆腐・かんぴょう・椎茸・きくらげ・でんぶ・おぼろ・焼穴子・キュウリ・三つ葉などです。

地方により、また店舗や家庭により様々な材料や食べ方があります。

恵方巻き(えほうまき)

恵方巻きは、江戸時代から明治時代にかけての大阪の花街で節分をお祝いしたり、商売繁盛を祈ったりしたのに始まったといわれています。


花街で商人や、芸子たちが節分に芸遊びをしながら商売繁盛を祈り、食べたようです。

名前も恵方巻きという名前ではなく、「丸かぶり寿司」や「太巻き寿司」と呼ばれることが多かったようです。

「丸かぶり寿司」も「太巻き寿司」も七福にちなんで、7つの具を入れて巻くので、7つの具を入れるのが基本になったようです。

一本丸ごと食べる事で幸福や、商売繁盛の運を一気にいただく、ということを意味している事が大きいようです。

玉子巻き

卵焼きで巻いた寿司です。

守貞謾稿(もりさだまんこう)の江戸の寿司について「江戸、今製は握り鮓なり。鶏卵焼、車海老、海老そぼろ、白魚、まぐろさしみ、こはだ、あなご甘煮長のままなり。以上、大略、価八文鮓なり、その中、玉子巻は十六文ばかりなり」と述べています。

本所元町のすし屋、花屋与兵衛の寿司にも、海苔細巻き、厚焼き玉子と海苔太巻きが含まれています。

他にも伊達巻や玉巻(ぎょくまき)の名称もあります。

手巻き寿司

巻き簀を使わず手で飯と具を海苔で巻く寿司は「手巻き寿司」と呼びますが、「築地玉壽司」が昭和46年に始めたとして同店は「元祖末廣手巻き」と名乗っています。

軍艦巻き

銀座久兵衛がイクラやウニなど握りにくい具を寿司とするために作ったもので、その外見から「軍艦巻き」と呼びました。


太巻き祭り寿司

千葉県の代表的な郷土料理です。

切り口から絵柄が表れるように作られる太巻き寿司で、歴史は江戸時代に遡ります。


漁業が盛んな
九十九里浜の背後にあり古くからの稲作地帯であった九十九里平野を中心に発達し、冠婚葬祭などのご馳走などとして食べられます。

おにぎりやめはりずしをルーツとする説もあります。

裏巻き

裏巻きは、日本の一般的な海苔巻きとは異なり、海苔が内側で酢飯が外側に巻きます。


「sushi rolls」とも呼ばれ、主に生の魚介類や海苔に馴染みのない国の人向けに
カリフォルニアロールを作る際に用いられます。

巻き簾の上に敷いた海苔の上に全面に酢飯、具を載せ、ラップをかぶせて巻きます。

さらに魚卵や胡麻などで飾ることもあります。

もともと裏巻は装飾寿司の方策でしたが、西洋人の多くがおにぎりと同様に「表巻」の黒い様相を嫌ったことに始まります。

現在では、日本以外、特に米国の寿司店で出される巻き寿司の多くは裏巻です。

西洋寿司

すでに1910年(明治43年)華屋與兵衛の子孫、小泉清三郎著『家庭鮓のつけかた』には、ハム(またはコールドミート)を使ってコショウをふった巻き寿司があり、江戸前寿司(早寿司)は様々な材料を受け入れやすい素地がありました。

1970年代アメリカ西海岸を中心に、寿司は一大ブームとなり、その中で生まれた「カリフォルニアロール」は大いにヒットして日本にも逆輸入されました。

1975年(昭和50年)『すし技術教科書』の「新しいすしダネとすし」には、キャビアやセップ、ロブスター、納豆、じゅんさいなど、100種類にもなる新しい寿司ダネが紹介されています。

現代の寿司店では、ありとあらゆる食材が寿司として提供される一方、古典的な材料・手法を守る店も人気があり、むしろ高級・高価です。

そして、寿司は主に外食の料理となり、家庭で作られる寿司は減少しています。