映画「アルゴ」は在イランアメリカ大使館人質事件を題材とした脱出サスペンス


2013年アカデミー賞作品賞受賞作「アルゴ」を観ました。

『アルゴ』(ARGO)は、1979年から1980年にかけて発生した在イランアメリカ大使館人質事件を題材とした、2012年のアメリカ映画です。

監督・製作・主演は、ベン・アフレックでした。


あらすじ

イラン革命により、1979年2月にホメイニ氏が率いる反体制勢力がパーレビ国王をイランから放逐しました。

その後国外に亡命したパーレビ元国王を、アメリカが受け入れたことに抗議する反米デモ隊が、アメリカ大使館に押し寄せました。

デモ隊は、同年11月にテヘランのアメリカ大使館を占拠し、パーレビ元国王の引き渡しを要求して、52人のアメリカ人外交官が人質に取られました。

しかし、大使館が占拠される直前に6人のアメリカ人大使館員が大使館から脱出しました。

そして、近くにあるカナダ大使公邸に匿われることになりました。

しかし6人が脱出したことを新政府(イスラーム革命評議会)は気づいていませんでした。

これを受けてCIA秘密工作本部作戦支援部のトニー・メンデス(ベン・アフレック)は6人をイランから救出するため、架空のSF映画をでっち上げて、6人をそのロケハンのスタッフに身分偽装させ秘密裏にテヘランから脱出させるという作戦をたてます。

作戦を徹底するためトニーはハリウッドへ飛び、ケヴィン・ハーキンスと名乗って、スタジオメイクのプロであるチェンバースに会います。

そしてチェンバースから、かつて監督として多くの受賞作のあったレスターを紹介されました。

トニーは2人に事情を打ち明け、
偽映画製作に協力するよう要請します。

彼らは偽映画製作の裏付け証拠を作るため、『アルゴ』というSF作品の脚本を中東が舞台となるように作りなおし、役者も集めて、偽の製作発表をしました。

目論見通りマスコミは記事にし、彼らは本物の映画製作の手順通り、広告やポスター、絵コンテを作成し、制作のための事務所さえ開設しました。

準備を終えたトニーはトルコに渡り、イラン入りします。

文化・イスラム指導省を訪問して撮影許可の申請をしました。

イラン入りしたトニーが撮影許可を求めに行くと、担当者は芸術の促進として、大臣と話し合ってもらえることになりました。

カナダ大使に6人分のパスポートを用意してもらった頃、カナダ大使にも帰国命令が出ました。

いよいよ時間が無くなるという状況の中、ロケハンの許可が下り、6人に監督や脚本家などの役を振り分けます。

イラン側のコーディネーターとバザールのロケハンのふりをする事になりました。

しかし、その途中、バザールで写真を撮った事を一人の老人に咎められ、周辺の人々が騒ぎ始めたため、現場は混乱してしまい視察は途中で中断せざるを得なくなりました。

また、一方
イラン人の家政婦は、6人が脱出者だと気づきましたが、イラン革命防衛隊が尋問にやって来ても秘密を洩らしませんでした。

偽のロケハンを終え、翌日にはテヘランを出国しようという時、ホワイトハウスから衛星電話で『アメリカ軍が人質奪還作戦をするから、トニーの行っている作戦を中止にするように』という通達がきます。

やがてシュレッダーや焼却しきれなかった大使館の資料から、大使館員の人数が足りないことが発覚し、6人は革命防衛隊の捜索により捕獲され、スパイとして銃殺される恐れがありました。

トニーは6人を見殺しにできないと決心し、作戦の中止命令を無視し、偽映画製作のスタッフとして6人を脱出させる計画を続行することを衛星電話でCIAの上司オドネルに伝えます。

上司のオドネルはトニーからの電話を受け説得しようとしますが、電話は一方的に切られました。

アメリカ政府はデルタフォースによる救出を決定していましたが、トニーの上司オドネルは必死になってホワイトハウス側を説得します。

その間、トニーは6人とともに空港へ向かいます。

しかし、6人分の航空券はアメリカ側でキャンセルされた後でした

そしてぎりぎりのところで、大統領は前代未聞のトニーの作戦遂行を許可しました。

オドネルは急いで計画の続行と航空券の確保に奔走します。

一度は空港のカウンターで航空券予約の照合が取れなかったものの、2度目の読み込みに間に合い、無事に航空券は発券されました。

一方、占拠中のアメリカ大使館では、裁断されたシュレッダー切片を貼り合わせた中から写真が再現され、バザールでロケハン中であったスタッフの中に脱出した人物がいる事が革命防衛隊に発見されてしまいました。

出国審査を大臣からのロケハン許可の手紙で乗り切ったトニー達は、搭乗口で再び止められてしまいました。

6人の大使館員らの中でペルシャ語のできる一人が、偽の記事と広告、絵コンテを見せてあくまでロケハンで来たことを説明しました。

出国管理事務所に詰めていた革命防衛隊の一人が、尋問していた一人から受け取った名刺から、本物かどうか確認するため、ハリウッドの事務所に電話を掛けます。

電話は中々出なかったため切ろうとした瞬間、事務所手前で足止めを食っていたチェンバースが電話が鳴っていることに気づき急いで受話器を取って答えたため、名刺が本物であると判断され、6人は無事に飛行機に乗る事ができました。

革命防衛隊は必死になって彼らを追うが、ギリギリのところでスイス航空の旅客機は離陸し、イラン領空を脱しました。

この事件は機密扱いのため、当初カナダの功績として報道されました。

1981年1月20には、残りの人質も全員無事に解放され、先に脱出した6人も外務局に戻りました。

チェンバースは民間人としてCIAの勲章を得ました。

1997年にクリントン大統領により、アルゴ作戦の機密扱いが解除されました。

CIAから勲章を得たトニーは、現在は郊外で家族と平穏に暮らしています。