フェルディナント・フォン・シーラッハの「犯罪」を読んで


フェルディナント・フォン・シーラッハの「犯罪」という小説を読み終えました。

この小説は、2012年に本屋大賞の翻訳小説部門で1位に選ばれた作品でした。

単行本で全266ページですが、一話一話が独立して完結した短編で、とても読みやすいです。

英米文学が多い中で、珍しくドイツ人作家の小説で、私も久々に読むドイツ小説です。

お国が違えば、小説の背景はガラリと変わり、登場人物も、東欧やレバノンから逃れてきた若い男女であったりします。

現代のドイツのお国事情をよく反映した物語となっています。

「犯罪」という題名からミステリー小説を想像しますが、そのつもりで読み始めると、おやっと、その期待に反した話の展開であることに気づきます。

しかし、やがて作者の術中にはまって物語に引き込まれていくことになります。

短編は全部で11話ありますが、中にはかなり衝撃的であったり、おぞましいストーリーが描かれていたりします。

ドイツ的合理主義や文化の影響があるのか、日本文学のように、心情が事細かく執拗に描写されているわけではありません。

それでいて不思議と読んだあと、強い印象残ります。

犯罪の顛末結果については、読者に考えさせる要素もあります。

中には、結末のトリックがよく読み取れない短編もあって、読後に?マークが付いたまま消化不良に陥るものもあります。

小説の冊子の裏面には、「弁護士の著者が現実の事件に材を得て、異様な罪を犯した人間たちの真実を鮮やかに描き上げた」とあります。


第一話

第一話「フェーナー氏」は、24歳の時に知り合って結婚した妻から「あたしを捨てないと誓って!」と言われて誓った言葉にとらわれて、妻からの嫉妬や怒声、罵詈雑言の限りの不幸な結婚生活を耐えた挙句、妻を斧で殺め、死体をバラバラにした72歳の老医師フェーナー氏の話でした。


第2話

第2話「タナタ氏の茶碗」は、二人の少年サミールと、トルコ人のオズジャン、そして一人のギリシャ人の若い男マノリスが、日本人タナタの屋敷から金庫を盗み、その中にあった家宝の茶碗を巡って殺人事件が起きる話でした。

話の最期に、マノリスは二人の少年に、「穴の空いた船が沈没し、一人だけ助かるが、助かった奴は、その後、最初の出会った奴を殺す。それで帳尻が合う」という奇妙な話をします。


第3話

第3話「チェロ」は建築会社2代目の男タックラーが娘テレーザのために開いたチェロ演奏会の情景描写から始まります。

やがて、テレーザとタックラーの息子レオンハルトは父親に反感を抱き、父親の許を離れる決意をします。

2人はタックラーからもらった25万ユーロの小切手で、ヨーロッパや合衆国を旅してまわります。

そして旅先のシチリアで、2人で乗ったスクーターで事故を起こし、レオンハルトは瀕死の重傷を負い、やがて脳の損傷により姉のことをただの美しい女としか分からなくなります。

テレーザはレオンハルトに大量のルミナールの入った食事をさせ、うとうとすると風呂へ入れて、頭を湯に沈めます。

その後、テレーザは拘置所でシーツで作った紐を使い、首を吊って自殺し、タックラーは娘の自殺の連絡を電話を聞いた後に拳銃で自殺をします。


第4話

第4話「ハリネズミ」は、押し入り強盗で逮捕された兄ワリドを救うため、法廷中を騙そうとするレバノン移民の犯罪者一家の中で唯一秀でた頭脳を持った末っ子の息子カリムの話が、面白可笑しく描かれています。

古代ギリシャ人アルキロコスの詩文「狐は多くを理解するが、ハリネズミはただ一つの大事なことを知っている」はカリムの座右の銘でした。

裁判官と検事官は狐、カリムはハリネズミ、カリムはまんまと狐を煙に巻きます。


第5話

第5話「幸運」は、東欧から逃れてきて娼婦となったイリーナの客が急性心筋梗塞で亡くなったことから、イリーナの恋人カレが、イリーナを救うために死体をバラバラにして公園に埋めてしまった事件を描いています。

弁護士である「私」は、「愛ゆえの死体損壊」が罪かどうかを裁判で問い、イリーナとカレは拘留状が取り消され釈放されます。


第6話

第6話「サマータイム」は、弁護士である「私」が夏時間と冬時間との1時間の差を見つけ、殺人の被告人を容疑から救う話です。

女子大生シュテファニー殺しで逮捕・起訴された実業家ボーハイムは、死体発見時刻15時26分の1時間前14時半頃に犯行現場のホテルを出たと主張します。

しかし、死体発見直後にホテルの駐車場を出る姿が監視カメラに捉えられていました。

時刻つきのカメラ映像という動かぬ証拠がある以上、彼の有罪判決は不可避と思われました。

しかし、弁護人である「私」は起死回生の発見をします。

事件が起こったのは、サマータイムの夏時間が終了する数日前のことでした。

ところが、ホテルの監視カメラは一年を通じて冬時間に固定されたままであり、映像には犯行日の実際の時刻よりも1時間遅い時刻が刻印されていたのでした。

その結果、ボーハイムがホテルを出たのは、彼の主張通りに死体発見の1時間前であり、こうして生まれた「空白の1時間」こそ他に真犯人が存在する可能性があることを示していました。

そして、監視カメラの映像に偶然映っていたボーハイムの腕時計が、まさに監視カメラの時刻15時26分よりも1時間早い時刻14時26分を指していました。

この劇的な発見によって、ボーハイムの拘留は取り消され、次の公判で新たな証拠が無いままボーハイムは無罪放免となりました。

ボーハイムが釈放された後、被害者シュテファニーの彼氏であるアッバスが真犯人として逮捕されましたが証拠不十分で起訴されず、結局事件は迷宮入りになりました。

この事件を担当したシュミート上級検事は、定年退職した後に、時間をめぐる真相に気づきます。

ボーハイムの容疑が、完全に晴れていたわけではなかったことが示唆されます。

ドイツの参審員裁判では、連続審理が原則であり、次の公判というのは翌日のことです。

つまり、裏付け捜査や証人喚問をする時間的余裕はまったくなかったはずでした。

大富豪のボーハイムが前もって、密かに警備部長に手を回して、虚偽の証言をさせていたら、またボーハイムの時計が14時26分を指していたのは監視カメラに腕時計を向けて映り込ませるためのアリバイ工作だったとしたら、裁判の結果は全くひっくり返っていたはずでした。

そもそサマータイムの時間のずれがなかったとしてもボーハイムには、シュテファニーを殺害する時間があったことは確かで、その間の殺害を肯定あるいは否定するいずれの証拠も挙がっていませんでしたので、再審請求には不十分であっただろうと想像されます。


第7話

第7話「正当防衛」は、舞台は駅のホームにあるベンチ、街の暴力的なスキンヘッドのごろつきの2人レンツベルガーとベックが、暇つぶしに近くにいた40代くらいの会社の経理係か公務員風の男を脅してやろうと、因縁を付け、目前でサバイバルナイフと金属バットをふりまわします。

黙ったまま動じない男に、ベック益々猛り狂い、ナイフで男の手を浅く差し、ナイフを右から左へ2度払うと、男のシャツが裂け皮膚に20センチほどの傷ができます。

再びナイフを振りあげたベックの右腕を男がつかんだかと思うと、肘を一突きし、次の瞬間ベックは自分の胸にナイフを突き刺し心臓を切り裂いていました。

金属バットを振りあげたレンツベルガーの首に男が一突きすると、レンツベルガーは顔から倒れ絶命します。

男は逮捕され、弁護士の「私は」彼を弁護することになりますが、男はなにひとつしゃべりませんでした。

暴行をうけた黒縁メガネの公務員風の男が、いとも簡単に街のごろつきを殺してしまったのですが、ホームのビデオカメラの映像から正当防衛を認められ、男は2人を殺した35時間後に釈放され、私が送った駅の人混みの中に紛れて消えます。

実は男はプロの殺し屋だったという落ちのある話でした。


第8話

第8話「緑」は、精神に異常をきたし、なんでも数字に見える19歳の青年フィリップの話でした。

フィリップはノルトエック伯爵の息子でしたが、4か月の間、度々村の羊を殺したので、伯爵は死んだ羊を運んできた村の男達に相場の倍額で弁償していました。

ある雨の日、フィリップがキッチンナイフを握り、交番の前の歩道に立っているのを、50代の婦警ペーターソンが見つけました。

フィリップを子供の頃から知っていたペータソンに交番の中へ導かれ、フィリップは洗面所を見つめながら18とつぶやきます。

ペーターソンが検察局に報告し、刑事ふたりが差し向けられ、家宅捜索をすると、隠してあった葉巻ケースの中を見ると、えぐられた羊の目玉と、教師の16歳になる娘ザビーネの目の部分が切り取られた写真が入っていました。

伯爵が教師の家へ電話すると、ザビーネはミュンヘンの女友達のところへ行くといって、フィリップが駅まで送って行ったと言います。

しかし確認をとると、ザビーネは女友達のところへ行っていませんでした。

フィリップ拘留から5日目、検察局からザビーネの写真が公開され、新聞に捜査協力を求める記事が載りました。

そして1週間後、ザビーネはボーイフレンドと内緒のバカンスをしていたことが分かり、フィリップは釈放されます。

釈放後、「私」はフィリップと話をすると、彼は「人間や動物が数字に見えるんだ」とつぶやきます。

牛は36、カモメは22、裁判官は51、検察官は23に見えると言います。

そして「私」は交番でフィリップが呟いていた18にはどういう意味があるのか尋ねます。

フィリップは18は6が3回、666は獣と悪魔の数字だと言います。

フィリップには羊の目が18に見え、ザビーネの目も羊の目に見えたから切り取ったのでした。

1週間後、「私」はフィリップをスイスの精神病院へ送っていきます。

院長の説明では、フィリップは妄想型統合失調症だろうということでした。

別れ際、フィリップは「私」を門まで送ってくれて、「私」がフィリップ自身の数字はなにかと尋ねると「緑」と一言返して病院の中へ入っていきました。


第9話

第9話「棘」は、彫像『棘を抜く少年』の棘に取り憑かれた博物館警備員フェルトマイヤーの話です。

本来定期的に職場をローテーションすべきであったのに博物館の不手際で、23年間にわたって1箇所の展示室にじっと座って勤務することを強いられました。

フェルトマイヤーは、あと2分で退職を迎える間際、彫像『棘を抜く少年』を高々と持ち上げ、全身の力で放り投げ、彫像は粉々に砕け散りました。

フェルトマイヤーは精神鑑定を受け、結果は、以前異常な精神状態にあったが、彫刻を破壊することによって治癒した可能性があると言う奇妙なものでした。

博物館はフェルトマイヤーを器物損壊で告訴し、弁償を求める考えでしたが、公判で博物館側はありがたくない質問を浴びせられ、面子を失うことを恐れ民事訴訟を取り下げます。

結局フェルトマイヤーは年金を受給できるようになり、博物館側は、彫刻が事故で壊れたという当たり障りにない説明をしてフェルトマイヤーの名を表に出しませんでした。


第10話

第10話「愛情」は愛する女性を食べたくなってしまった若者パトリックの話です。

ある日、パトリックは、膝枕をして寝ていた恋人ニコルの背中にアーミーナイフで15センチの傷を負わせたことから起訴され、「私」は彼の弁護を引き受けることになります。

話の中でカニバリズムについて、18世紀に「処女の痙攣する心臓を六つ食べたというパウル・ライジンガーから、1981年にパリで恋人を食べた日本人のサガワ・イッセイの事件が、弁護士の「私」によって語られます。

弁護士の「私」はパトリックに精神科に相談することを強く勧めますが、彼の母親から解任されてしまいます。

2年後、パトリックはウェイトレスを殺害することになり、ある講演で「私」に声をかけてきたパトリックの刑事弁護人は、彼の殺害の動機が分からないと告げます。


第11話

第11話「エチオピアの男」は、エチオピアの寒村を豊かにした心やさしき銀行強盗ミハルカの物語でした。

捨て子であったミハルカは、情の薄いミハルカ夫妻に引き取られ育てられますが、不幸な学校生活を送った後、建具屋に雇われます。

しかし工場のロッカーから手提げ金庫が盗まれる事件があり、疑われて解雇されます。

その後、歓楽街で娼館の管理人になりますが、酒におぼれはじめ、身を持ち崩すと思ったミハルカは外国でやり直す決意をします。

彼は銀行強盗をしてエチオピアに逃れます。

アジスアベバの悲惨な街の状況を見て、この世はゴミの山だと絶望します。

ミハルカは列車に乗り、盗んだ金の続く限り旅をして、マラリアにかかり、あるコーヒー農園をあてもなくさまよい歩きます。

そしてコーヒーの木の間に倒れ、意識を失います。

熱にうなされ、意識がもどった時にベッドに寝かされていることに気が付きます。

医者と見知らぬ黒人たちに囲まれていました。

倒れたミハルカを世話してくれたのは一人の女で、ミハルカは女を美しいと思いました。

ミハルカは元気を取り戻すと、コーヒー農園の仕事を手伝いたいと申し出ます。

それから、ミハルカはコーヒー農園の収益を上げるために、色々と工夫をして、彼の命を助けてくれた黒人たちに恩返しをします。

彼を世話してくれた女アヤナは21歳で未亡人でしたが、彼は彼女を愛するようになり、2人の間に女の子が生まれます。

彼の住む村は、彼の努力もあって豊かになり、村人も彼を信頼し、ミハルカは生き甲斐を見出します。

しかし幸せな数年が過ぎた後、当局がミハルカに目を付け、パスポートが切れていたため、首都へ来るように伝えます。

ミハルカはアジスアベバでドイツ大使館へ送られ、そこで逮捕されます。

ミハルカはハンブルクへ送還され、3か月後、禁固5年の刑を科されます。

3年後、減刑され一時外出が認められると、家に帰りたい一心のミハルカは3日間さ迷い歩き、とうとう2度目の銀行強盗をすることになります。

銀行で「お金がいるんです。申し訳ない。本当に必要なんです」と言うと、女子行員はミハルカにお金を渡しました。

しかし、ミハルカにはもう走って逃げるだけの力が無く、銀行の前の芝生に腰を下ろしすわっているところを警察に逮捕されました。

弁護士の「私」はミハルカの弁護することになります。

この物語は、ホットするような明るい結末になっています。