高齢者と言われるボディビルダー達

私も72歳になって、年齢から体力的にはもう終わりかなと諦めの気持ちが出ますが、時々、朝ジョギングしていると、まだまだ大丈夫という気分にもなることもあります。

テレビではあまり報道されませんが、ネットで観ると、世間的には高齢と言われながらも、自らの体を使って限界を極めようとする人達がいます。


82歳ボディービルダーの引退


「四国最高齢ボディービルダー」の齋藤忠男さん(82歳)が、引退を決意した記録の動画です。

トレーニングのやりすぎと言われるほど、一日の時間のほとんどを費やした過酷な生活が見られます。

毎晩7時に就寝、朝午前2時半に起床してトレーニングを始め、ジムで3時間汗を流し、そしてランニング、半身浴、ポーズの練習…長ければ10時間に及ぶ日もあったそうです。

80代とは思われないほど、笑った時の顔の若々しい艶や、背中、腕の皮膚の張りなどが印象的です。

齋藤忠男さんは、動画の中でも出てくる、ゴールドジム新居浜愛媛を設立したオーナービルダーで、2年前まで会長でした。

会員の邪魔にならないよう、営業開始よりも前にトレーニングを終えたいという気配りから始まった日課であったようです。

32歳から50年間継続してトレーニングに励んできたということも驚きです。

現役は引退しましたがトレーニングは続ける予定とのことです。

国内最高齢86歳のボディビルダー

2021年11月3日(現地時間)、スペイン・サンタスサンナで開催されている『IFBB世界選手権』のボディビルマスターズ60歳以上級に金澤利翼(かなざわ としすけ、 1936年 8月29日 生)選手(86)が主催のIFBB(国際ボディビル・フィットネス連盟)から招待による出場を果たしました。

彼は、広島県 発の トレーニングジム 「広島トレーニングセンター」の設立者であり会長でもあります。現在、広島県ボディビル・フィットネス連盟 理事長を担っています。

金澤選手はボディビル国内最高峰の「日本選手権」で1960年、63年と2度の「ミスター日本」の称号を手にしており、年齢別の日本一を決める「日本マスターズ選手権」では13度の日本一に輝いているほどの選手です。

しかし、2021年の「日本マスターズ選手権」では81歳の笠原孝昭選手に敗れ、日本代表としてのクオリファイは逃していましたが、IFBB主催者からの招待で今大会の出場となりました。

金澤さんは80歳となる2016年の「IFBB世界マスターズ選手権」で65歳以上級6位に輝き、その際にIFBBから特別表彰された世界的なレジェンドビルダーといえます。

本クラス出場選手は12名。60代の選手が10名、2番目に高齢の選手とは生まれ年で9歳差と金澤選手の年齢は飛び抜けていました。

結果はラウンドⅠでの12位と予選敗退となりましたが、大会最高齢86歳での世界大会出場は偉業ともいえます。

金澤選手は「昔は粗食だったが、お年寄りは病気知らずでした。日本人の腸には日本食が最も適している」と語り、肉・魚・乳製品のタンパク源は摂らず、ステーキなども食べず、玄米・十六穀米・納豆・卵入りみそ汁・フルーツの1日3食の食生活を50歳から30年以上も続けてるといいます。

足りないタンパク質はプロテインで摂り、栄養素もビタミン剤で補います。

金澤選手の食生活は徹底した物であり「肉や魚を食べなければ筋肉は鍛えられないという世の中の常識を覆したい。日本食の素晴らしさを世界に伝えることも私の役目」と笑います。

酒類や清涼飲料水など「体に悪いと思うものは体内に入れない」とも語っています。


72歳の男性が全日本ボディビル選手権で優勝



2016年の動画ですが、山陽小野田市に住む矢田部立身さん(72歳)が全日本ボディビル選手権で優勝した時の地方テレビ局の報道ビデオです。

当時の年齢では、現在の私と同輩、隆々たる筋肉が色艶良く圧倒されます。

2023年も79歳で、ボディビル選手権に参加して活躍しています。


2019年日本マスターズボディビル選手権75歳以上級チャンピオン


筋骨隆々の見事な肉体の持ち主は、2019年日本マスターズボディビル選手権75歳以上級チャンピオン、杉尾 忠(すぎお ただし)さん79歳です。

杉尾さんの武器は、ふくらはぎから腹筋、胸筋にかけてくっきりと表れるラインの美しさです。

片方20キロのダンベルで腕を鍛え、スクワットで担ぐバーベルは100キロ以上。体脂肪率6%の体づくりのきっかけは、60代のときの労災事故でした。

クレーン運転手として約30年勤務し、瀬戸大橋の建設にもかかわりました。

2002年10月、作業中の事故で左手の指2本を切断し、リハビリを兼ねて2004年、64歳の時からジムに通い始めました。

1年で腹筋が割れ、2008年、68歳の時に初めて日本マスターズボディビル選手権(日本ボディビル・フィットネス連盟主催)に出場、65歳以上級で初優勝しました。その後、これまでに4度の日本一を経験しています。

トレーニングは1日2時間半を週4~5回行い、脚、胸、背中、肩と部分ごとに鍛えます。

冬は重めのウェートで、大会が近づく夏は軽めのウェートで回数を重ね、体を絞ります。

トレーニング後は丸亀城のまわりを5キロほど歩き、食事は「女房が作るものを文句言わずに食べる」とのことです。ただ食べ過ぎには気をつけるそうです。

始める前は68キロだった体重は現在は56・4キロ、指を失った左手の握力は30キロ、体脂肪率は大会前には5・5%にまで絞るそうです。


2022年80歳以上級の新王者




2022年、80歳以上級の新王者となったのは笠原孝昭選手、御年81歳です。

62歳でボディビルを始めて、キャリアは18年目、日本タイトルを獲ったのは初めてです。

もともと笠原選手はスポーツとは無縁のサラリーマンでした。

トレーニングに触れるようになったのは、病院に通わざるをえなくなるほど悪化した腰痛を改善するために始めたのがそもそものきっかけでした。

笠原選手は、次のように語っています。

「運動をしていると、確かに腰の調子はよくなるんです。ですがサラリーマンだったので、仕事が忙しくなると運動を続けるわけにもいかず、それで腰は良くなったり悪くなったりの繰り返しでした。当時は60歳が定年の年齢だったのですが、結局自分の時間が取れるのは定年後ということになります。それで60歳を超えてから自分でトレーニングを始めたら、どんどん良くなっていきました。そして、もともとは腰痛の改善が目的だったのが、だんだんと目標が高くなっていったんです(笑)」

そこで「ボディビル」というものを知った笠原選手は、2004年63歳の時の群馬県選手権マスターズでコンテストデビューし、3位という好成績を収めました。

「そこからもっと頑張りたいと思い、日本マスターズ選手権というものがあることを知って、その大会を目標にしました」

しかし、2008年に初めて日本マスターズにエントリーするも、他の選手たちとのレベルの差に愕然とします。

その後、出直しを図り、2012年に再挑戦して70歳以上級で7位に、以後、毎年出場を続けてきました。

「すると、少しずつ順位が上がってきたんです。そして今年、ついに念願の優勝を果たすことができました!今後の目標は「何歳までできるか分かりませんが、連覇です」と笠原選手は抱負を述べています。


世界最高齢90歳のボディビルダー


2023年7月現在、ジムさんは90歳。今でもジム通いを続けていて、大会で優勝を果たすこともしています。

最近だとネバダ州で開催された国際ボディビルダーズ連盟(IFBB)プロフェッショナル・リーグのイベントにおいて、70歳以上のカテゴリーで3位入賞、80歳以上のカテゴリーでは優勝を飾りました。

ジムさんの筋肉の素晴らしさは言わずもがな(総合男性誌『Men's Health』の紙面にも掲載されたほど)ですが、生まれつき体格が良かったわけではありません。

ジムさんは未熟児として生まれ、出生時体重は2.5 kgでした。ジムさんによると、彼の両親は命をつなぎとめるために「必死の必死」だったと言います。その後も喘息に悩まされ、幼少期は不健康で、頻繁に病気になっていたそうです。

しかし1947年、当時15歳のジムさんは「(不健康な状態は)もうたくさん」と思い、ウェイトトレーニングを始めたのです。

「スーパーヒーローになりたかったんです」とジムさんは当時を振り返ります。

それから70年以上経った現在も、ジムさんにとってウェイトトレーニングは人生に欠かせないもの。週に3回ジムに通い、2時間ほどのトレーニングを行っています。

ジムさんによると、これまで長く続けてこれたのは、年齢による身体の変化に適応してきたからだと言います。

「ある年齢でうまくいった方法が、そのまま年を重ねてもうまく生き続けるわけではないんです」

こういった「適応」は、トレーニングの内容だけではなく、食事にも及びます。

昔は牛乳と牛肉を多くとっていたと言うジムさんですが、高齢になるとともに、それらが炎症を起こす原因になってしまったとか。

そこで今はオリーブオイルやきのこなどといった食材を積極的にとるようにしているそうです。

ジムさんは、自身の体つきには全く納得していないとか。しかしだからこそ、筋トレを続けるモチベーションがあがると言います。

「素晴らしいボディをたくさん見ていると、彼らに勝るためには、誰よりも長くやり続けることだと悟るんです。だからそれを今なおやり続けているんです」

ジムさんによると、ギネス世界記録に認定されたことで、新しい世界が広がったそうです。

認定をきっかけに、さらに続けるインスピレーションを得ることができたと言います。