登山家の三浦はなぜ要介護4になってしまったのか

三浦雄一郎は86歳で南米アコンガグアに挑戦した後、87歳のある日の明け方、突然、100万人に1人といわれる難病の「頸髄(けいずい)硬膜外血腫」を発症し、首から下が動かなくなる半身不随の状態に陥りました。

頸髄とは首にある、手指、腕を司る神経で、その頸髄の膜が破れ、流れた血が血栓となり神経を圧迫しているためにそのような状態となりました。

原因は転倒などの外傷、硬膜表面の血管奇形、がんなどからの出血など様々ですが、原因が分からない「特発性」が最も多いと言われます。

Groenらの検討によると原因は抗凝固療法中の出血傾向が24 %、高血圧が19 %、外傷や全身疾患が5 %であり何らかの原因があった症例が48 %にすぎず、52 %が特発性でした。

三浦雄一郎は、血腫を取り除く緊急手術を受けましたが、医師からは完全にもとの状態に戻れない可能性があり、もう歩けないだろうと言われました。

ドクターの「リハビリ次第」だという言葉を信じて、三浦雄一郎は諦めずにリハビリに励み始めました。

手の指先の感覚、足の感覚はしばらくなく、足に力が入りません。

動かすことはできるが歩くことができない、上半身を90度曲げることができないのも堪(こた)えたと言います。

寝ている姿勢から起き上がることができない状態は1か月半程度は続いたとのことでした。

三浦雄一郎はさらに従来不整脈を患っていた心臓にペースメーカーを埋める手術を受けた後、北海道せき損センターでリハビリに励むことになりました。

さらに有料老人ホームへ移って、一層のリハビリに励みますが、その時に5段階ある要介護度のうち、上から2番めに重い《要介護4》に認定されました。

要介護4は、介助なしで立ったり歩いたりするのが難しい状態を指します。

しかし、三浦雄一郎は2本のノルディックストックを使いながらも、何とか歩けるようになり、10m、20mと歩行距離を伸ばしていきました。

そして、2021年6月、聖火ランナーとして、片手にストック、片手にトーチを携えた三浦雄一郎は、富士の5合目から150mの距離を聖火でつなぎました。

三浦雄一郎の驚異的な回復は、医師から奇跡とまで言わしめました。

三浦雄一郎は、かつて60歳で一度引退を決めた時、生来食べること、飲むことが大好きであったため、気がつけば65歳で164cm、88kgとなっていました。

明らかなメタボ体形になっていました。

その上、不整脈、高血圧、高脂血症を患い、糖尿病の疑いもあったことから、医師に「3年以内が危ない」と余命宣告を受けてしまいました。

そこで、三浦雄一郎は、一念発起して、70歳でエベレスト登頂に挑むと決めました。

基礎的なトレーニングを5年計画で段階的に進め、ついに70歳、75歳、80歳でエベレスト登頂を成し遂げました。

80歳はエベレスト登頂の最高齢記録でした。

三浦雄一郎は、目標を立て、計画し、着実に努力を積み重ねて、常に挑戦を続け、決して諦めない不屈の精神を持っていました。

三浦雄一郎の金言は「人生にもう遅いはない。いつも今からがスタートだ。それは誰にでも言えることだ。」まさに至言です。