米澤穂信の「黒牢城」を読んで

2021年の直木賞受賞作品である、米澤穂信の「黒牢城(こくろうじょう)」を読み終えました。

久しぶりの、時代物で、話の中へ引きこまれるようにして物語が展開していく巧みな流れ、米澤穂信が中々のストーリーテラーであることを感じさせます。

全443ページの長編小説は、分厚いハードブックで、最後まで読み切れるだろうかと心配になりますが、展開が早く読み易いので、各一章を短編として読み進めると、意外に早く読むことができます。


序章「因」

この物語の背景を語った章です。

時代は、戦国時代、敵対する織田と本願寺・一向宗、織田に謀反して本願寺、毛利と起請文を交わした有岡城の40半ばの城主である荒木摂津守村重が、羽柴秀吉の命により翻意説得のための使者として遣わされた黒田官兵衛を、近習に命じて捕えさせ土牢に繋ぐまでが描かれています。


第一章「雪夜灯籠」

戦国時代の中に推理小説を編み込んだ話になっています。

事の発端は、荒木村重の配下の大和田城が戦わずして織田方に開城したことでした。

大和田城は熱心な一向門徒の安部兄弟の居城でしたが、息子の二右衛門が父と叔父を謀り、二人を縛り上げ人質をして織田に送ったのでした。

有岡城は、安部二右衛門の寝返りにより、大坂本願寺に通じる街道に楔を打ち込まれることになりました。

有岡城には、安部二右衛門の一子、11歳になる自念(じねん)が人質として村重の屋敷に置かれていました。

寝返り者の人質を殺すのは乱世の習いでしたが、諸将の反対を押し切り、村重は自念を牢に繋ぐことを命じます。

ところが、牢ができるまで納戸に閉じ込められていた自念が、翌朝払暁、何者かに殺害されます。

自念のの致命傷は矢傷でしたが、弓矢は現場にはありませんでした。

納戸は三方が壁になった狭い板の間であり、一方は廻り廊下に面した障子戸になっていました。

廊下越しにはいずれ庭になる平地があり、そこには春日灯籠だけが据えられていました。

自念が殺害された日は薄雪が庭に降り積もり、何者かが庭から近づいた足跡はありませんでした。

当日は、5人の強兵によって警護されており、外部から曲者が容易に納戸に近づくことなどはできない状況でした。

村重は、安部自念の奇怪な死の謎解きをすることになります。

しかし、調べるほどに謎は深まるばかりで、自念殺害の方法は分かりません。

ある日、村重は、土牢に繋いだ黒田官兵衛に会いに行き、この自念殺しの真相を解き明かすことを問います。

しかし、黒田官兵衛は答えず、ただ、立ち去ろうとする村重の背に向かって、狂歌を一句投げかけました。

村重は、黒田官兵衛の謎かけの狂歌から、春日灯籠を検分した時に、すべての真相を悟ります。


第二章「花影手柄」

有岡城の城主である安部村重は、織田軍に囲まれ籠城しながらも、東側の沼地に陣を構えた織田信長の元近習、馬廻りから将に取り立てられた、大津伝十郎長昌に夜襲をかけ勝利します。

この夜討ちで村重は、火縄銃を武器として用いる一向宗門徒の雑賀衆を束ねる将の鈴木孫六と、織田側に寝返った高槻城主高山右近の父親であり、息子の裏切りを卑怯として、志を同じくする将卒達の高槻衆を率いて有岡城に入城した、南蛮宗徒の将である高山大慮(ダリヨ)の二人を大将として命じます。

これは、去る師走の織田軍との合戦でさしたる武功が無かった雑賀衆と高槻衆の内部の不満を抑え、武功を立てる機会を与えるためでもありました。

夜討ちの最初の一打は村重自ら、南無と念じながら弓を引いて、鎧を着た武者の眉間を射抜き、武者はそのまま泥の上に倒れ込みました。

夜討ちは大勝利し、織田の助勢が来るのに合わせて有岡城に戻りました。

夜討ち後の首実検にて、雑貨衆が討ち取った兜首は、年寄のものが一つ、若者のものが一つ、高槻衆の首も全く同じでした。

夜討ち後、重症を負いながらも、葦に隠れて、遅れて有岡城に戻った一人の雑貨衆から、敵陣中で、大津伝十郎長昌が討ち死にと言い交わす声と、宿老と思しき老武者が、陣引け、高槻に戻れと差配するのを聞いたという話を聞きました。

大津伝十郎長昌は若年ということは分かっていましたが、長岡城内には、顔を見たことがある者はいませんでしたので、討ち取った兜首のいずれが大将首か分かりませんでした。

大手柄を挙げたのは、雑貨衆か、高槻衆か、この手柄首をめぐって、城中には不穏な空気が流れ、庶民7、8人が徒党を組み、南蛮宗の礼拝所に火をかける諍いもありました。

城中をまとめるため、村重は、八方手を尽くして調べ上げますが、結論は出ず、再び天守の地下へ下りていくことになりました。

村重は、官兵衛に向かって「名のわからぬ首が二つある」とすべてのいきさつを語り始めます。

話を聞いた後、官兵衛は、またしても、はっきりとしたことを言わず、「八幡大菩薩……の御加護でもござろうよ」と言ったきり、合掌して瞑目しました。

夜明けとともに、軍議のため諸将を呼ぶ大太鼓が打ち鳴らされました。

八幡大菩薩の掛け軸がかけられている一室で、軍議の刻限が迫って近習が声をかけた刹那、村重は、官兵衛の言った意味を悟ります。


第三章「遠雷念仏」

村重が密書を託した旅僧の無辺が、村重の御前衆4人が無辺が宿る庵の周囲を警護していたにも関わらず、何者かに殺されます。

密書は、明智光秀に織田との和議の取次を依頼するものでした。

有岡城で籠城を続ける中、村重が和議を進めていることは、秘中の秘でした。

しかし無辺の袈裟の襟に縫い込まれた密書は、糸がほどけて封締がずれており、読まれた形跡がありました。

密書とともに、明智光秀に証として差し出すために、無辺に託した茶道具の名物である茶壷「寅申」の入った行李も盗まれていました。

部屋の3面は壁で、一面が廊下に通じる障子戸になっていました。

夏草の茂る、庵の裏手を警護していた御前衆の一人が、刀を抜く間もなく、後ろから腿を切られ、喉を突かれて殺されていました。

村重は再び、手燭をかざして、土牢の黒田官兵衛に会うために、有岡城天守の地下へ下りていきました。

黒田官兵衛は、村重に「すべてがさかしま……庵から何が消えたか。そこに手掛かり、足掛かり……」と話します。

村重は官兵衛の言葉を紐解き、無辺が殺された方法の謎を解き明かしました。

無辺を殺した将の一人を特定して、諸将が軍議で登城する際に、武者たちを使って取り囲みます。

取り囲まれた将は、これが最後とばかり、密書に書かれていた内容を、並み居る諸将に暴露しようと、「皆の者、よっく聞けい」と叫び、刃を天に突き上げた瞬間、轟音と閃光、落雷により死にました。


第四章「落日孤影」

村重は、無辺を殺した将が落雷で絶命した傍らに、まだ熱い鉛玉が落ちているのを見つけました。

そして誰が、将を撃ったのか、誰が命じたのかを、御前衆の十右衛門に探索させます。

しかし、探索は行き詰まり、再び、黒田官兵衛に聞くために土牢へ下りていきます。

村重は、仔細を話しましたが、官兵衛は「罰の正体を既にご存じにござろう」と言います。

屋敷に戻った村重は持仏堂に入り、罰について考えを巡らし、ある結論に辿り着きます。

障子を開けて背後から入ってきた、村重の妻の千代保に向かって「そなたが、撃たせたのだな」と言います。

千代保は、一向宗徒の「進めば極楽退かば地獄」の文句の呪縛を解いて、念仏することだけしかできず、進めぬ多くの民に対しても極楽はあり、御仏は常にそばにいると信じるよすがを与えようとしました。

無辺を殺した大悪人が、どこからともなく飛来した玉に撃ち抜かれ絶命したことにより、民は冥罰と信じ、御仏は見ていると心を安んじさせることができると、千代保は考え、雑賀衆に撃たせたのでした。

身分の上下を問わず、城内の誰にも声をかけ、御仏の教えを説く千代保は、屋敷詰めの女房、小者だけではなく、城内に籠城する兵や民からも慕われていました。


終章「果」

終章は後日談のような括りとなっています。

村重は有岡城を抜け出て、村重の亡くなった正室との倅の村次が守る尼崎城へ向かいます。

頭領自らが毛利へ出向き、毛利と談判して、毛利軍を連れて有岡城へ戻るためでした。

しかし、有岡城は、砦を守る将の一人が織田勢を城内に引き入れ、有岡城のその他の砦も悉く陥落しました。

本来輪の残された家臣らは更に1か月支えましたが、毛利は来ず、ついに落城に至りました。

村重の唯一の室、千代保は京に送られ、六条河原にて、いささかも取り乱すことなく、穏やかに静かに、首を斬られました。

村重は、有岡城を抜け出した後、尼崎城、花隈城を頼り、更に翌年7月まで戦い続けました。

花隈城が落ちても、毛利領内に逃れて生き延びました。

後に茶人として摂津に戻り、有岡落城から7年後に天寿を全うしました。

織田信長は、有岡落城から3年後、京都本能寺にて最期を遂げました。

黒田官兵衛は、有岡落城の時、自らの家臣らに助け出されました。

羽柴秀吉は官兵衛の生還を殊の外喜び、静養を勧めました。

官兵衛は、有馬で湯治していた際に、人質として信長により非業の死を遂げたと思っていた子息の松壽丸と再会しました。

官兵衛がまだ土牢に囚われたいた時に亡くなった親友の竹中半兵衛の策により、生き延びることが出来たことを、松壽丸を連れてきた竹中半兵衛の甥であるという武士から聞きました。

松壽丸は長じて、黒田筑前守長政となり、博多一帯を領して町の名を福岡と変えました。