今村翔吾の「塞王の楯」を読んで

今村翔吾の「塞王の楯」は、2022年第167回直木賞を受賞した作品です。

主人公、匡介(きょうすけ)は、7歳の時、故郷、朝倉家の居城である一乗谷(いちじょうだに)城が織田軍の猛攻により落城する際、両親と2つ下の妹とともに、群衆の阿鼻叫喚の中、城の館を目指して逃げました。

匡介の父親は、越前でも有数の象嵌職人でしたが、逃げ延びる際に、羅刹の如く振る舞う織田軍に追われ、妹の花代(かよ)とともに、逃げ惑う民の群れに飲み込まれ、姿を見失いました。

匡介の手を放し「山へ逃げなさい」という母親の言葉を最後に、匡介は一人で山の頂を目指して逃げます。

武士達が領民を見捨てて山城から逃げる最中、匡介はまだ30代半ばであった石工(いしく)職人の飛田源斎(げんさい)に遭遇しました。

源斎は石垣造りで天下に名を轟かせた石工職人の集団である穴太衆(あのうしゅう)、飛田屋の頭であり、その道の頂点を究めた者として塞王と呼ばれていました。

匡介を伴って、一乗谷から森の斜面を下って逃げる際、源斎は、岩から声が聞こえてくると言う匡介に天賦の才を見出します。

妻さえ娶らず石積みに生涯を捧げようと決心した源斎は、一乗谷から連れてきた、まだ年端も行かない匡介を跡取りに据えるとして配下の者たちに引き合わせ仰天させました。

長じて匡介が30歳の時に、源斎はそれまで匡介が長きにわたって修行してきた石垣を摘む積方から、石を切り出す石方、さらに石を石積みの現場へ運ぶ荷方(にかた)を各々3か月経験するよう、命じられます。

そのようにして、匡介は、穴太衆の頭となるべく経験を積んでいきました。

14年前、かつて源斎は、蒲生賢秀(がもうかたひで)、氏郷(うじさと)親子に要請されて、居城である日野城改修のため、穴太衆総動員で石積を行う総力戦である「懸(かかり)」を発しました。

当時、源斎43歳、匡介は齢16でしたが、明智軍の援軍が来ることを頼みとした甲賀衆(こうがしゅう)を始め数十の士豪の軍勢に攻め込まれ、壮絶な死闘の末、最後まで城を守り抜いた功績により、塞王としての名声を天下に知らしめました。

匡介は、一乗谷の戦の中で、手をすがる幼い妹の泣き叫ぶ顔をいつまでも忘れることはできませんでした。

そして、決して落ちない石垣を作ることが、民の命を救い、戦のない泰平の世の中を作ることになると信じます。

対して、鉄砲職人の国友彦九郎(げんくろう)が物語に登場します。

彦九郎は、新しい鉄砲に匠の技術を駆使し、誰もが容易に扱える最強の鉄砲を作れば、それが抑止力となり、互いに戦を仕掛けることがなくなると信じていました。

盾と矛として、匡介と彦九郎は、互いを意識しながら、実績を重ねていきます。

大津城主、京極高次(きょうごくたかつぐ)は匡介に石垣の改修を依頼します。

匡介は、大津城城壁の唯一の弱点とされた、外堀の空堀に、琵琶湖の湖水を低きから高き導く大工事を完成させ、豊臣秀吉にも塞王源斎の跡取りとして飛田匡介ありとして認められました。

豊臣秀吉の病死後、再び世情が不安定化し、石田三成と徳川家康が夫々強大な西軍と東軍を有し天下を二分して対立するようになりました。

塞王源斎は、匡介を穴太衆の頭とすることを、穴太衆に宣言した後、匡介の反対を押し切って伏見城の石積を強化する工事に入り、攻め入る石田側軍勢の攻撃の中、彦九郎の新式鉄砲により命を落としました。

近江の大半の大名が石田側につく中、大津城主、京極高次(きょうごくたかつぐ)は、徳川家康から大津城を死守することを命じられます。

石田側数万の軍勢が迫る中、京極高次は大津上改修で名をはせた匡介に城の防御を依頼します。

こうして、匡介にとって、2度目の「懸(かかり)」により、匡介は石田側についた彦九郎の新式の鉄砲と大砲に対峙して物語のクライマックスを迎えます。