ブリジット・ジロー「生き急ぐ」を読んで

 フランスのゴンクール賞受賞作、ブリジット・ジロー「生き急ぐ」を読み終えて数週間が経ちました。

この小説はブリジット・ジローの実体験によるものでした。

主人公ブリジットは、既に何冊かを上梓した作家、つまりは本小説の作者ブリジット・ジローその人そのものです。

彼女は、20年前、夫のクロードをバイク事故で失いました。

夫は享年41、二人で購入した家へ、引っ越しを間近に控えた矢先でした。

もしも、あのとき、……であったら、夫を失うことはなかったのか、もしも、もしも、と自身に問いかけていく繰り返し自体がこの小説の主題となっています。

何かを失ったとき、誰もが思い浮かべる言葉の数々、それを思い起させる小説です。

23章のうち21章で「もしも」、2章が「なぜ」という問いかけとなっています。

「なぜ」の中で、ブリジットは、ホンダCBR900のファイアブレードを制御できないほどに危険かつ凶暴なオートバイであり、本国日本でさえ公道での走行が禁止されていたこのようなバイクがなぜヨーロッパに輸出されていたのか、と書いています。

このオートバイを設計したエンジニア馬場忠夫についも述べており、フランスでの彼の人気など、23年前のフランスがどのような時代だったかも語ってします。

当時クロードが読んでいたルー・リードの本の中で書かれていた言葉「生き急げ、太く短く生きるんだ」「悪者を気取れ。すべてをぶち壊せ」からこの小説の題名が採られています。

彼は、北アフリカの元フランス植民地で生まれ、本国へ引き上げてきた後、現在は公的機関の図書保管施設の管理職に就くブルジョワで、ロック雑誌に投稿欄を持つ一面をもっています。

彼は、いつか自宅に自前のスタジオを持ちたいと思っており、ベースギターやシンセサイザーを所有していました。

またクロードは、バイク愛好家で、青年時代から何台かのバイクを乗り継ぎ、現在も重厚な日本製バイクを所有していました。

そして、時折、貸りていたガレージへ、小さな一人息子を連れて、日がな一日、所有するバイクの整備をしながら過ごすことを趣味としていました。

偶々、ブリジットの弟がバカンスのため、事故の原因となったホンダCBR900のファイアブレードを、ブリジットとクロードが引っ越す予定となっていた家のガレージに預けたのが、不幸の発端となりました。

ロックを愛し、バイクへの熱い思い入れ、破滅的な事故への条件は揃っていたとも言えます。

クロードは、この破壊的な性能を秘めた大型バイクを試す誘惑を抑えることができなかったのでした。

「もしも」の反芻は、本小説中で延々と繰り返され、その一つ一つについて丁寧に書かれています。

「もしも私がアパルトマンを売ろうとしなければ。

もしも私があの家を身に行こうとしなければ。

もしも私の祖父が、ちょうど私たちがお金を必要としていたときに自殺しなければ。

もしも私たちがあの家の鍵を事前に手に入れなければ。

もし私の母が弟に電話して、私たちのところにガレージがあると伝えなければ。

もし弟が1週間のヴァカンスに出るあいだ、自分のバイクをうちのガレージに駐めなければ。

…………

もしも私がパリの出版社に出向く日えお変更していなければ。

…………

もしも、あのとき携帯電話があったなら。

…………

もしも雨が降っていたら。

…………

もしも事故に先立つ数日が、そのどれもこれも説明のつかない予想外の出来事が次々に連鎖する慌ただしさのなかになかったならば。」

延々と続く「もしも」のつぶやきが書き連ねられ、編み込まれて、読者は20年前の彼と彼女に起きた物語を追体験しながら、自身のもしもに思いを巡らしていくことになります。