一穂ミチ「ツミデミック」を読んで


一穂ミチの2024年第171回直木賞受賞作「ツミデミック」を読んでしばらく時間が経っていましたが、忘れないうちにあらすじを書き留めておくことにしました。

ツミデミック』(一穂ミチ)の舞台はコロナ禍です。コロナ禍という特殊な時代に生きる人々の心理や、ふとした瞬間に触れる「罪」を描いた短編集です。

日常と非日常の境目が曖昧になる不安定さや、心の奥底に潜む後悔や欲望が繊細に描かれています。

タイトルは、「罪(つみ)」と「パンデミック(demic)」を掛け合わせた造語で、 ウイルスのように広がる“罪の連鎖”を描いています。


第一話 違う羽の鳥

主人公は、大学を中退し、夜の街で客引きしながらなんとなく日々を過ごしている青年・及川優斗です。 

ある日、優斗の前に現れたのは、 死んだはずの同級生の名を名乗る女でした。

夜の路上で居酒屋の呼び込みバイトをやっている優斗は、金髪に真っ赤なトレンチコートの派手な若い女から声をかけられ、仕事が終わったら食事をしようと誘われます。

逆ナンに疑心暗鬼になりつつも、優斗は女についていきカラオケ店に入ります。

女は、大阪弁を使う優斗に懐かしさから声をかけたと言い、大阪から東京へ出てきて以来、ずっと愛人をやっていると語りました。

しかし、女が名乗った「井上なぎさ」という名前からある過去の記憶を呼び起こします。

女は、佐伯のことを知っているようで、知らないようで、 優斗の過去をなぞるように話しかけてきます。

優斗は、かつて中学の同級生である井上なぎさに見せられたことがあるプリクラに、一緒に写っていた派手な女友達のことを思い出しました。

女に「お前は井上なぎさではない、一体、どういうつもりだ」と詰め寄りますが、女は曖昧な態度で、のらりくらりとかわします。

女の言動にはどこか“ズレ”があり、 優斗の心の奥にしまっていた後悔や罪悪感が、少しずつ浮かび上がってきます。

優斗は、踏切事故で亡くなった井上なぎさの顔は判別できないほどであったことを思い出しました。

自分は井上なぎさだと言い張る女と言葉を交わし続けるうちに、あの踏切で死んだのは、あのプリクラに写っていた派手な女友達で、今ここにいるのは、死んだと思っていた井上なぎさかもしれないとさえ思うようになります。

酒による酩酊と繰り返される女の言葉に、優斗の頭は益々混乱していきます。

荒い吐息と深い混濁の後、翌朝、優斗が目覚めた時、女は姿を消していました。


第2話 ロマンス

育児と夫婦関係に疲れた主婦・百合は、 フードデリバリーのイケメン配達員に執着し、 生活が次第に“彼を待つこと”に支配されていきます。

ある日、百合は四歳の娘のさゆみと歩いているとき、自転車に乗ったフードデリバリーサービスのイケメンとすれ違います。

心にトキメキを覚えた百合は、それからこっそりフードデリバリーを頼み、あのイケメンと再会しないかと心待ちにしています。

ところが、やってくるのは、いつも全く違う男で、あのイケメンではありませんでした。

やがて、隣の主婦に、百合の夫・雄大に告げ口をされ、夫婦喧嘩となりました。

百合は、前よりも一層慎重に、夫にばれないよう、こっそりとスマホを使ってデリバリーを頼むようになりました。

ある日、時々デリバリーに来ていた、男・takuyaが無理やり家の中に押し入り百合を襲いました。

百合に勝手に片思いをしていたその男を、百合はとっさに掴んだ物を頭に叩きつけて殺してしまいます。

百合は逮捕され、やがて釈放されますが、夫は妻に精神科医の治療を受けさせます。

病室で、百合は看護師にデリバリーを頼みたいのでスマホを返して欲しいと言います。


第3話 憐光

豪雨災害で亡くなった主人公の少女・松本唯(まつもとゆい)が幽霊として現世に戻る物語です。

親友と元担任の行動を追ううちに、 自分の死の真相と向き合うことになります。

「気づいたら松の木の下にいたあたしは、十五年前の豪雨災害で死んでおり、どうやら幽霊になってしまったようだ。そのまま家へ帰ろうとすると、親友のつばさや、当時担任だった杉田先生を見つけた。」という書き出しから物語は始まります。

唯が目を覚ましたのは、高校の敷地にある木の下でした。

そこには「『立ち別れ いなばの山の峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む』という和歌と、三本松葉を木の根っこに置いて願を掛けると失くした物が見つかる」という言い伝えがありました。

豪雨に流され見つからなかった唯の骨が発見され、唯の高校時代の親友の登島つばさ(としまつばさ)は、久々に担任だった杉田先生と再会し、杉田先生の運転する車で唯の実家を訪れます。

杉田先生(すぎた)は、44歳元教師で、唯が高二の時の担任でした。

杉田は、教師を辞めた後、ある教育資材の販売が当たり、その分野である程度知られた存在となっていました。

実は、松本唯は、高校時代の担任の杉田先生と不倫関係にありました、

唯は、杉田と東京へ逃げる約束をしていました。

妊娠した唯は、杉田と駆け落ちするため、母の口座から100万円を盗み出し、二人で東京へ逃げようとしていました。

ところが、その日は豪雨で、その金を持って杉田と待ち合わせをしていたのでした。

偶々、親友の登島つばさに会い、事情を打ち明けたところ、つばさに現金の入っていたバッグを奪われ、川へ突き落とされました。

家が貧しく進学をあきらめていた登島つばさは、唯から現金を奪い取り、その場を立ち去りました。

必死に流されまいとする唯の前に杉田が現れますが、助けを求める彼女を、杉田は教師としての自分の身を守るため、見殺しにしました。

こうして、松本唯は、15年前の豪雨災害で濁流にのまれて亡くなりました。

杉田の訪問目的は、唯の部屋に遺品として残っているかもしれない15年前の2人の関係を示すペンダントの写真を隠滅するためでした。

登島つばさが唯の遺骨を弔うために訪れたのは、唯に対する自責の念もありましたが、15年前に唯から聞いた話をネタに、事業で成功した杉田を強請り金を引っ張ろうとも考えていました。

車で帰る途中、つばさに頼まれて寄った高校の例の木の下で、杉田が、何か知っているであろうつばさの口を封じるため、つばさの首を絞めようとしたところ、つばさは隠し持っていたナイフで杉田を刺しました。


第4話 特別縁故者

主人公の恭一はコロナ禍で勤め先の飲食店を解雇され、無職となりました。

妻の朋子の収入に頼りながら、日々の生活を続けていました。

ある日、息子の隼がスーパーボールで遊んでいる最中に、ボールが近所の佐竹という老人の家の庭に入り、隼は拾うために庭へ立ち入りました。

隼は佐竹老人に見つかりますが、そのまま家に上がり込み、老人と親しくなって、帰りにヤクルトと一万円をもらいます。

恭一は言葉巧みに、隼から1万円を取り上げます。

老人から、後になって「返せ」と言われないようにするため、佐竹老人の家に挨拶へ行きます。

恭一は、佐竹から、近所の弁当屋「なごみ亭」で弁当を買い、それに加えて料理を一品作って持ってきてほしいと頼まれます。

その弁当代と一品料理代を老人が払うということで、時間を持て余していた恭一は引き受け、以後定期的に佐竹のもとへ通うようになります。

 こうして、恭一は、 “ささやかな欲”を発端として、近所の老人と奇妙な関係を築き始めます。

恭一はその老人の特別縁故者になり、大金を受け取ることを目論みます。

ある大晦日の日、妻と喧嘩した恭一は佐竹の家を訪れました。

佐竹に愚痴をこぼしていると、朋子からスマホに着信がありました。

朋子から、激しい腹痛で病院に搬送され、おそらく子宮筋腫があり手術になるだろうとのことに加えて、実は朋子に借金があることを聞かされて驚きます。


動揺した恭一は、佐竹に手をついて金を貸してほしいと頼みます。

しかし、佐竹から、恭一が初めて老人宅を訪れた時に、部屋の中を物色していたことを指摘され、元々佐竹に近づいたのは金目当てだったのだろうと言われて追い出されてしまいます。

佐竹老人に一喝され、とぼとぼと家へ戻ってきて、恭一は、朋子の入院中に隼を実家に預けることにしました。

ところが、しばらくして、実家の父から、母がぎっくり腰になったため隼を預かれなくなった、迎えに来てほしいと連絡が入りました。

恭一は再び隼を連れて、実家から帰宅しました。

その夜、夜中に恭一がふと目を覚ますと、隼がスパイごっこをしていました。

隼が、双眼鏡を使って外を眺めていたところ、佐竹の家に怪しい男たちが入っていったと言います。

恭一は、佐竹の家へ行き、家の外から、一品料理で使った容器を返してくれと大声で叫びます。

男たちは慌てて車で逃げましたが、結果的に、縛り上げられていた佐竹老人は無事助け出されました。


後日、佐竹の顧問弁護士が恭一の家を訪問しました。

弁護士から、佐竹老人は地域一帯の地主であり、「なごみ亭」の元社長でもあることが明かされます。

それからしばらくして、恭一が家事をこなしていると、公園に行ったはずの隼が帰ってきました。

隼は、佐竹から、「ミッション」を頼まれたと言います。

そして、恭一に宝物入れの缶を差し出しました。

中には大金と手紙が入っていました。

「先日は世話になった。ちょうどお前の息子に会えたから、これを託す。俺が先代の社長から引き継いだ、表に出せない金の一部だ。

俺が信頼している部下の連絡先をここに記しておく。もし働く気があるのなら、俺の名前を出して連絡してみろ。お前の嫌いな縁故ってやつだ。」

恭一は、唇を噛み締め、缶を抱きしめました。


第5話 祝福の歌

高校生の娘が妊娠したことで動揺する父・達郎、母の隣家の“異変”を発端に、母の抱えてきた秘密と告白、親と子について考えさせられる物語です。

主人公の牧野達郎は、妻・美津子と高校生の17歳になる娘・菜花と暮らしています。

達郎が頭を抱えている最大の悩みは、あろうことかまだ高校生の菜花が妊娠し「産みたい」と主張していることでした。

達郎は勤務先の印刷工場にに行く前、月に何度か一人暮らしの母のもとを訪ねていました。

ある日、母から「お隣の近藤さんの様子がおかしい」と聞かされます。

お隣さんが、引っ越してきた当初は、母も仲が良く、よくお隣さんと話していたそうです。

ところが、近々子供を産む様子だった奥さんだが、いつになっても子供を産んだ気配はなく、いっさい赤子の声が聞こえず、奥さん自身もほとんど姿を見せなくなったと言います。

翌日、菜花が「一緒におばあちゃん家に行く」と言うので、菜花を車に乗せて、母の家に送っていきました。

菜花を母の家に残して仕事に向かおうとすると、菜花を妊娠させた彼氏の父親から着信が入りました。

父親から「生まれてくる子供のDNA鑑定をしてほしい、息子も同じ考えだ」と言われ、達郎は怒り心頭、激怒したまま母の家に戻りました。

菜花に向かって「あいつはダメだ、今すぐ堕ろせ」と怒鳴りつけます。

しかし、母が異様な剣幕で達郎を叱り飛ばし、達郎は家から追い出されました。

会社に出てから、妻の美津子から電話があり、母が転倒して病院に運ばれたことを知ります。

母は菜花のためにケーキを買いに出た際に転んだと言っていたそうですが、防犯カメラには例のお隣さんの奥さん・近藤鈴香の姿が映っていました。

実際には、母は近藤鈴香に突き飛ばされて階段から落ちて病院へ運ばれたのでした。

後日、近藤鈴香が夫に連れられて、謝罪に訪れました。

そして、夫から、事のあらましを説明されました。

鈴香は実は妊娠していませんでした。

彼女は、体質的に妊娠できないため、ウクライナで代理出産を依頼していました。

ところが、ウクライナの戦況が悪化して、代理母は隣国へ避難しました。

不安な状況下、代理母は次第に子どもが愛おしくなり、鈴鹿へ子供を渡さないと言ってきました。

鈴鹿は子供を奪われたと錯乱した末に、ただならぬ様子に心配して声をかけてくれた達郎の母を、思わず突き飛ばしてしまったのでした。

やがて病院で、意識を取り戻した母は、達郎に驚くべきことを告白しました。

母は「自分は本当の母ではない」と達郎に真実を告げたのでした。

こんな中年にもなって、出生の秘密を告白された達郎は、戸惑いながらも母の自宅に向かいました。

家に着いて、母から言われた場所にあった箱を開けると、そこには産みの母親の写真やカセットテープが入っていました。

達郎は、菜花からこのように言われました。「子育てはそんなに簡単じゃないって、パパにもママにもたくさん言われたよね。でも、ふたりはあたしをここまで育ててくれたじゃん。だったら、現実の厳しさより乗り越えるためのライフハックを授けてよ。あたしは産んだ世界線で考えてんのに、産むか産まないかの話ばっかされても噛み合うわけない」



第6話 さざなみドライブ

最後の話は、SNSで出会った5人の男女の物語です。 

SNSで、最初にこの出会いを募った男が運転するワンボックスに乗って、彼らは“ある目的”のために山奥へ向かいます。

物語の書き出しはこのように始まりました。「この三年間、コロナ禍の出口の見えない焦燥感に苦しまされた僕たち。よく晴れた土曜日に、僕は待ち合わせをしていた。SNSを通じて知り合った、年齢も性別もバラバラの僕らの奇妙なドライブが始まった。」

これは、ネットで出会った自殺志願者たちの集いでした。

彼らは互いにハンドルネームで呼び合っていました。

キュウリ大嫌い、マリーゴールド、あずき金時、毛糸モス、動物園の冬、等々の5名でした。

SNSで、最初にこの出会いを募った「動物園の冬」こと毛利が募った条件は「パンデミックに人生を壊された人」でした。

毛利は、このパンデミックで、コロナワクチン接種に反対する妻が、ある胡散臭いセミナーに参加して貯金をむしり取られ、無一文になってしまいました。

「あずき金時」こと遠藤三雄は俳優で、コロナ禍に飲み会を行ったことで、大バッシングに晒され、以後仕事が全く回ってこなくなりました。

マリーゴールドは看護師、パンデミックで医療現場はパンク寸前、プライベートでの人間関係に悩みを抱えていました。

毛糸モスは12歳、18歳以下はこの集まりに加われないにもかかわらず年齢を偽っていました。加わった理由は、自分の顔が嫌いだから死にたい、というものでした。

主人公である僕ことキュウリ大嫌いは「僕がパンデミックを引き起こした」と言います。

売れない作家である彼は、気分が高じたある時に、自分が書くというより何かによって書かされている物語が現実になってしまうと皆に語ります。

ワンボックスの中で、各々の死にたい理由を話している間に、山奥の目的地に着きました。

ところがそこには既に先客がいて、1台の車が停まっていました。

毛利が車の様子を見に行きますが、すぐに真っ青な顔で戻ってきました。

車のドアはテープで目張りがされ、中で人が自殺をしていたと毛利が話しました。

思わぬ事の次第に4人は驚き怯え、話し合った結果、ここはいったん自殺実行を延期にしようと決めます。

自殺実行を取りやめにすることを決めた皆に、毛利がカフェで買ってきたドリンクを渡します。

ところが、このドリンクを飲んで少し経つと、急激な眠気に襲われました。

しばらくして、キュウリ大嫌いが目を覚ますと、マリーゴールドが、皆は毛利に騙されていたのだと説明してくれました。

毛利は、SNSで集団自殺を募って実行させる異常犯でした。

マリーゴールドは、SNSでこのような不審なグループの集いをチェックする仕事をしており、このような犯罪を未然に防ぐ活動をしていました。

マリーゴールドにより一命を取り留めた4人は、この後、再び自分たちの元居た日常世界に戻っていきました。